夏の津軽は「あけぼの」で④(金木から三厩へ)
2005年7月16日、金木から三厩へ。
金木駅からは13:39発の14レで五所川原へ戻ります。津軽平野は昼を過ぎてますます暑さを増し、ホームに咲くアジサイの花の色がひときわ際立ってきました。もう使われなくなった側線にはSMAPの香取慎吾さんと地元の子供たちがTVの企画でペイントした元キハ22「夢のキャンバス号」が静かに眠っています。やがて13:38発の津軽中里行き11レが先着し、入れ違いで五所川原行きの14レが入ってきます。
津軽中里行き11レが到着。
さて、14レの五所川原着13:58です。五能線の川部方面は16:12発まで列車がありません。しかしそれまで待っていたのではこの後の行程に大いに差し支えます。旅程計画の段階でいろいろ悩んだ末、五所川原からはバスで青森まで行くことにしました。しかし青森行きのバスの発車時間は14時ちょうど。五所川原での乗換時間はたった2分しかありません。
14レが五所川原に着き、ドアが開くなり猛ダッシュ!駅員さんに切符を見せるのもそこそこに跨線橋を駆け上り、脱兎のごとく駅舎を出るとその真向かいがバスターミナル。まさに今発車せんとしていた青森行きの弘南バスに駆け込んで、めでたくセーフ。初めて訪れる土地ならばこううまくはいかなかったでしょう。何度も来たことがあり、どこにどうバスが停まっているかわかっているからこその乗換でした。
さて、14レの五所川原着13:58です。五能線の川部方面は16:12発まで列車がありません。しかしそれまで待っていたのではこの後の行程に大いに差し支えます。旅程計画の段階でいろいろ悩んだ末、五所川原からはバスで青森まで行くことにしました。しかし青森行きのバスの発車時間は14時ちょうど。五所川原での乗換時間はたった2分しかありません。
14レが五所川原に着き、ドアが開くなり猛ダッシュ!駅員さんに切符を見せるのもそこそこに跨線橋を駆け上り、脱兎のごとく駅舎を出るとその真向かいがバスターミナル。まさに今発車せんとしていた青森行きの弘南バスに駆け込んで、めでたくセーフ。初めて訪れる土地ならばこううまくはいかなかったでしょう。何度も来たことがあり、どこにどうバスが停まっているかわかっているからこその乗換でした。
次のランナーは青森15:46発の三厩行き普通列車337D。青森から三厩まで直通する列車がこの一本だけになってもう久しいです。白地に赤ライン、青森カラーのキハ40の二両編成です。
青森駅4番線には15:45発の2046M特急「かもしか6号」が停車中。この列車に遅れること1分で三厩行きも発車です。「かもしか」の発車が少し遅れれば青森車両センターの手前まで併走が見られるかもしれないんですけどね。
青森駅4番線には15:45発の2046M特急「かもしか6号」が停車中。この列車に遅れること1分で三厩行きも発車です。「かもしか」の発車が少し遅れれば青森車両センターの手前まで併走が見られるかもしれないんですけどね。
485系「かもしか6号」。
津軽線は津軽半島の東岸に沿って北上しますが、実はあまり海が見えるわけではありません。津軽宮田、奥内、左堰と集落の向こうにあああれが海かもなあという程度です。瀬辺地を過ぎて、もうすぐ蟹田だというところでようやく眼前にどーんとむつ湾が広がります。晴れて空気が澄んでいれば下北半島ももちろん見えます。しかしその海の景色も蟹田駅に着いてしまうとおしまい。このあと津軽線は山手へと進路を変えてしまうのです。
蟹田を出ると中小国。海峡線の高規格レールが右手に何本も伸びるようになります。青函トンネルをくぐってきた長大編成のコンテナ貨物列車が「金太郎」ことEH500に牽かれて高速で駆け抜けていき、北海道と本州の貨物郵送高速ネットワークが構築されていることを感じさせます。
青函を縦横無尽に「金太郎」。
それとは対照的に、中小国から海峡線に分かれて進む津軽線の寂れようたるや、涙が出そうになるほど。蟹田~三厩間には一日たった5本(上下合わせて10本)しか列車がありません。今別や三厩、龍飛など風光明媚な海岸線が続き、青函トンネル記念館などもあって、がんばればもう少し観光客に来てもらえそうなエリアなのに、鉄道網もバス網も貧弱の極みで、なんとももったいない気がします。
終点三厩、行き止まりに到着。
「青森-三厩」のサボも貴重品。
折り返しは蟹田行き344D。
▲三厩にはやはり終着駅の風情がそこはかとなく。
僕は、三厩駅前発17:20の三厩村営バス(合併後は外ヶ浜町営バス)に乗り、龍飛漁港を過ぎて高台へのぼり、青函トンネル記念館前を経由して龍飛灯台前まで行きます。この高台にある「龍飛崎温泉ホテル龍飛」が今夜の宿なのです。
津軽半島最北端の駅。
▲確か以前は「みうまや」と読ませていたような。