毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

聖カタリーナの小径(Long Summer Vacation;その74)

f:id:mainichigaharu:20200209230939j:plain▲「聖カタリーナの小径」を歩く白い衣装を身にまとった二人は修道女でしょうか。

 2018年7月29日、職人街。

 「聖ニコラス教会」の日曜礼拝を参観したあとは「ヴェネ通り」をラエコヤ広場の方に戻り、「ヴェネ通り」12番地の前までやってきました。

 「ヴェネ通り」12番地にあるレンガ色の建物は「カタリーナ・ギルド(KATARIINA GILD)」。このあたりにスタジオや工房を構える職人さんたちを束ねる組織として1995年に誕生した団体が拠点を置いている建物です。

 この建物の向かって左下に、裏手まで建物を突き抜ける通路というかトンネルがありまして、ここから東側の「ミューリヴァヘ通り(Müürivahe tänavat)」へ抜ける小路が、「聖カタリーナの小径(Katariina käik)」と呼ばれています。「聖カタリーナの小径」はこの「カタリーナ・ギルド」の建物が「ヴェネ通り」側の出入口だとして知られているようですが、「カタリーナ・ギルド」と「ヴェネ通り」14番地の建物との間にある細い石畳の道が本来の道で、この道がカギ形に折れ曲がって「カタリーナ・ギルド」の裏手へ続いているのです。
 

f:id:mainichigaharu:20200209230927j:plain▲右が「聖カタリーナの小径」、左は「聖カタリーナ教会」だった建物。

 

 「カタリーナ・ギルド」の裏手からまっすぐ「ミューリヴァヘ通り」へ伸びる石畳の小径の北側にある大きな石積の建物は「聖カタリーナ教会(Püha Katariina kirik)」だった建物です。正式名称は「聖カタリーナ・ドミニコ会修道院礼拝所(Chapel of the St. Catherine's Monastery of the Dominican Order)」というらしい。創建は1246年、トゥーンペアの丘の上にあった修道院がここに移ってきたもののようです。しかしこの修道院は、1531年に大きな火災に遭い廃墟と化してしまい、その後は教会としては使われなくなってしまったようです。

 

 教会としては廃墟となってしまった「聖カタリーナ教会」ですが、そこにあった中世の墓石のうち保存状態のよいものが、時代の変遷を経つつ、最終的にこの教会の「聖カタリーナの小径」に面した壁に全部で12枚、保存展示されています。

 

f:id:mainichigaharu:20200209230931j:plain▲「聖カタリーナ教会」南側の壁に保存展示されている中世の墓石たち。

 

 小径をさらに進むと、左側の「聖カタリーナ教会」の壁と右側の建物との間に、何本も屋根がかかっています。屋根というか、梁?でも瓦も載ってるし、棟の最頂部には雁振瓦みたいなのも載ってるから、やっぱり屋根?とにかく日本の鳥居のてっぺんの横棒(笠木と島木)だけみたいなのが小径の上にかかっているんです。この下で雨宿りするにしては幅が狭すぎるし、なんなんだろう、コレ。

 

 「カタリーナ・ギルド」のHPによれば、英語では「buttress」という語が使われており、「教会を補強するために8本の"buttress"が造られた」とあります。

 「buttress」は、建物を補強するために壁に直角に突き出した補強壁のことで、日本語では「控え壁」というようですが、空中にアーチをかけて補強するものを「飛び梁(flying buttress)」というそうで、ここではこの「飛び梁」のことだと思われます。

 

 今の「カタリーナ・ギルド」の建物の裏手一帯の複雑に込み入った建物群は、ちゃんと不動産登記がされた形で1366年にタリン市から貴族ヨハン・ハーメルに譲渡され、私有物件となり、その後、土地建物ごとに所有権は細かく分散されていったことでしょう。教会の壁を支えるために私有物件から「飛び梁」を渡すには、これら所有者や居住者と協議しなければなりません。結局、協議の結果、教会と所有者側との間に協定が結ばれ、私有地敷地から教会敷地に直接行ける通路を造り、私有地の所有者が変わらない限りその通路を使い続けられる(所有者が変わったらその通路はレンガで塞がれる。)ことが、「飛び梁」を渡す条件として定めらました。同HPでは、教会の建物を完成させるために市民と話し合いをするのがこんなにたいへんだったというのは妙なことだとしていますが、この時代にしっかりと法治が行われていたことはすごいなと思います。

 

 こうしてできあがった8本の「飛び梁」、8本が全部残っていたか記憶が定かではないのですが、空を仰いで「飛び梁」を眺めつつ石畳の小径を歩くと、本当に中世にタイムスリップしそうです。あ、でも、石畳にはつまづかないようにね! 

 f:id:mainichigaharu:20200209230935j:plain▲教会と市民との話し合いによって築かれた「飛び梁」は独特の形状。

 

 「飛び梁」をくぐり抜けた先は、小径はまた建物の中を貫くトンネルのようなところに入り、これを抜けると、「セーターの壁」のある通り「ミューリヴァヘ通り」に出ます。

 

 「聖カタリーナの小径」が人気の観光スポットになっているのは、中世そのままの歴史と雰囲気を感じられる道だからというだけではなく、上述の「カタリーナ・ギルド」に所属している職人さんたちの工房が、この入り組んだ中世の建物の中に入っていて、エストニアの様々なアートが垣間見られるということがあります。ガラス工芸、陶器、織物、革細工、帽子職人、宝飾品細工などの工房やギャラリーがあるので、アート好きにはここの工房巡りはたまらないと思いますよ。

 

f:id:mainichigaharu:20200209230954j:plain▲「聖カタリーナの小径」の東端は建物を突き抜けるトンネル状になっています。 

 

f:id:mainichigaharu:20200209230943j:plain▲「聖カタリーナの小径」の「ミューリヴァヘ通り」側の入口。

 

f:id:mainichigaharu:20200209230947j:plain▲「ミューリヴァヘ通り」。奥に見えるのは「修道士たちの後ろの塔(Tower behind Monks)」。