毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

中国最北端の駅

厳冬の中国最北端をゆく(その25;最終回)

▲ハルビン駅に到着したN58次列車。一両ごとに車掌さんが下車客を見送ってくれます。 2007年1月9日、キタイスカヤ。 チチハルで車内ががらんとなった列車は、朝のけだるい雰囲気に包まれながらラストスパート。そして11:32、N58次列車は定刻にハルビン駅に到…

厳冬の中国最北端をゆく(その24;再び列車に)

▲薄暗いハイラル駅の待合室に掲げられたN58次列車の乗車案内。 2007年1月8~9日、再び夜行列車。 ハイラルにできたばかりのケンタッキー・フライドチキンで時間をつぶし、再びハイラル駅にやってきました。これから乗るのは、満洲里始発ハルビン東行きのN58…

厳冬の中国最北端をゆく(その23;ハイラルのケンタ)

▲寒い寒いハイラルで熱い熱い火鍋を食べました(^^)。 2007年1月8日、ハイラル。 満帰駅からの汽車旅を終えてハイラルに着いた我々は、次の列車までの時間を利用してタクシーで市の中心部へ行き、まずは旅行社の人から、頼んでおいたハルビン行きの列車の切符…

厳冬の中国最北端をゆく(その22;終点ハイラル)

▲夕闇迫る頃、扎羅木徳駅に到着。 2007年1月8日、とうとう終点。 牙克石駅で15分停車したあと再び大雪原に飛び出した4182次列車は、牙克石駅から列車番号を4183次に変え、ラストスパートとばかりに西へ西へと走り続けます。真冬の日は短く、外は薄暗くなって…

厳冬の中国最北端をゆく(その21;大雪原へ)

▲4182次列車は大森林地帯を抜けて大雪原地帯に入りました。 2007年1月8日、車窓の変化。 4182次列車は、7分停車の図里河駅で息を整え、再び動き出しました。昼下がりの車内、特に僕の乗っている、半分は乗務員休憩用の寝台車は、ほとんどの乗客が午睡をむさ…

厳冬の中国最北端をゆく(その20;弁当タイム)

▲「東風4型」ディーゼル機関車。この顔、誰かに似てると思うんです。 2007年1月8日、列車行き違い。 17分の停車時間が過ぎて、4182次列車は11:43、伊図里河駅を発車です。 その次の停車駅は、図里河駅。12:10の到着です。ここでも時刻表上は7分の停車時間が…

厳冬の中国最北端をゆく(その19;根河・伊図里河)

▲根河駅、つかの間の雑踏と賑わい。 2007年1月8日、牙林線と伊加線。 潮中駅を出て走ること約30分、「根河駅」に到着しました。ここは内蒙古自治区ホロンバイル市の下の根河市(県級市)の中心地ですから、駅では大勢の人が降り、また大勢の人が乗り、ホーム…

厳冬の中国最北端をゆく(その18;車内は冷凍庫)

▲金河駅に停車中の4182次列車。 2007年1月8日、快晴、青空。 始発の満帰駅から約2時間で金河駅に到着した4182次列車は、しばしの停車のあと、再び「牙林線」を南下します。「牙林線」の「牙」は、満帰駅からの路線がシベリア鉄道の一部とも言えるハルビンと…

厳冬の中国最北端をゆく(その17;モンゴル文字)

▲「ハイラル-満帰」のサボ。この列車に乗る機会はなかなかないよ~(^^)。 2007年1月8日、満帰駅発車。 まだ夜の明けぬ満帰駅を、4182次列車はゆっくりと出発しました。外の空気は凍てついていますが、始発駅を出たばかりの列車の車内も同じように凍てついて…

厳冬の中国最北端をゆく(その16:満帰駅の朝)

▲まだ真っ暗な朝6時前、極寒の中を列車目指してぼちぼちと人が集まってくる。 2007年1月8日(月)、満帰駅。 冷え込みました。前夜たどり着いた内蒙古自治区満帰鎮で鍋を食べて暖まり、夜11時近くなってようやくホテルで休みましたが、その日の夜の最低気温は…

厳冬の中国最北端をゆく(その15;大森林を突っ切って)

▲漠河県から満帰へ向かう林道の途中にあった「記念碑」。 2007年1月7日、満帰鎮。 黒龍江源流近くの集落・洛古河村でのランチも終わり、漠河を離れる時間がやってきてしまいました。まずは漠河県の中心地、つまり漠河県駅がある町まで引き返し、我々一行3人…

厳冬の中国最北端をゆく(その14;漠河でも氷祭り)

▲「神州北極」碑の近くでは氷祭りの準備中。次々とみごとな氷像が彫り上げられていきます。 2007年1月7日、ランチ。 今日は、黒龍江源流を見たあと、間をすっとばして翌日のことを書こうと思っていたのですが、昼食を食べに立ち寄った近くの集落のことを書い…

厳冬の中国最北端をゆく(その13;黒龍江で魚捕り)

▲黒龍江源流近くの集落。とにかく空が広いです。 2007年1月7日、魚捕り。 全面凍結した黒龍江の上には、漁業を営む漁師さんたちがこの日も繰り出してきていました。この厳しい寒さの中で、生業とは言え、その苦労はたいへんなものです。山中湖でワカサギを釣…

厳冬の中国最北端をゆく(その12;黒龍江の最初の一滴)

▲国境を示す中国側の標識。 2007年1月7日(日)、「黒龍江源頭」へ。 漠河県の中心部で郵便局などに立ち寄った後、再び車で移動します。川沿いに道がないのでかなり迂回してしまい2時間以上かかったでしょうか、やってきたのは「黒龍江源頭」、つまり黒龍江と…

厳冬の中国最北端をゆく(その11;神州北極)

▲「神州北極」の碑。向こうはロシア。 2007年1月7日、中国最北端の碑。 中国最北端の宿で朝を迎え、身支度を調えて出発です。 宿のすぐ前は黒龍江ですが、この黒龍江沿いの道に沿って集落の中心のほうへ少し戻ると、ここに「神州北極」の石碑が建っています…

厳冬の中国最北端をゆく(その10;最北端の村の朝)

▲中国最北端の村に朝の訪れ。家々からはそれぞれに煙が立ち上ります。 2007年1月7日(日)、 中国最北端の村での一夜が明けました。 前夜は「中国最北端の宿」に泊まったのですが、寝台がオンドルになっている部屋がいくつかあり、オンドルの上がり口のところ…

厳冬の中国最北端をゆく(その9;最北端の農家にて)

▲最北端の村の農家のかまどにて。一所懸命ごはんを作ってくれてます。 2007年1月6日、晩ごはん。 ようやく中国最北端の駅に到着し、まだ午後6時半ですがもう真っ暗なので、ここでこのまま宿に入り、最北端の駅の余韻にひたりたいところですが、この日の日程…

厳冬の中国最北端をゆく(その8;終点到着)

▲塔河駅到着。いい天気ーー。写真では全然寒さが伝わらないなあ。 2007年1月6日、ハルビンから20時間。 41次列車は「翠崗」駅を出発し、やがて14:00、「塔河」駅に到着しました。 塔河駅も分岐駅です。中国最北端の駅へ向かう線はここまでだいたい真北に向か…

厳冬の中国最北端をゆく(その7;天と地ほどの差)

▲先頭車両のドア越しに牽引機DF4D-0369の顔が間近に。ドアの隙間は樹氷みたいになってる。 さて、厳冬の中国最北端の駅を訪ねる旅のほうの連載も今日から再開です。 2007年1月6日、林の海から新しい林へ。 41次列車は林海駅を出発しました。ダイヤはやはり20…

厳冬の中国最北端をゆく(その6;大興安嶺を突っ切って)

▲林海駅到着。澄み渡る雲一つないすばらしい青空。しかし気温は氷点下。 2007年1月6日、北へ北へと。 食堂車で食事をしているうちに停車駅に着きました。11:03、「勁松」駅です。だいたいダイヤどおりに動いているようです。 「勁松」駅、ぱっと見ただけでは…

厳冬の中国最北端をゆく(その5;食堂車)

▲N41次列車の食堂車にておかず3品、白飯、そして地ビール。 2007年1月6日、N41次列車の食堂車。 朝ごはん食べてないし、おなか空いたなーと思った頃合いに「食堂車営業始まりました、いらっしゃいいらっしゃい、さあいらっしゃい」という車内放送。食堂車の…

厳冬の中国最北端をゆく(その4;ジャグダチ駅)

▲朝、内側まで完全に凍りついた列車の窓に、誰かが指で「新年快楽、猪」と書いてました。 2007年1月6日、ジャグダチ駅。 車内は(というか我々のコンパートメント内はというか)けだるい朝の雰囲気がただよっています。列車はまもなくジャグダチ(加格達奇)…

厳冬の中国最北端をゆく(その3;軟臥の一夜)

▲ハルビン駅で発車を待つ41次列車の牽引機DF4D-0369(フラッシュ焚いたバージョン)。 2007年1月5~6日、軟臥車。 今回の一行は僕も含めて計3名。ハルビンからのN41次列車の切符はハルビンの旅行社に頼んで確保してもらいました。確保したその切符は、このブ…

厳冬の中国最北端をゆく(その2;出発!)

▲寒くて暗くてカメラもぶれるハルビン駅、午後9時20分。 2007年1月5日(金)、ハルビン駅、夜9時20分。 しんしんと冷え込んできました、夜のハルビン。マイナス10℃は当然下回っているでしょう。もしかするともうマイナス20℃近くまで下がっているかもしれません…

厳冬の中国最北端をゆく(その1;ハルビン)

▲完全に凍結した松花江。ハルビン市の中心部を流れる大河。 2007年1月5日(金)、ハルビン。 中国最北端の駅へ行く列車が出ているのは、黒龍江省の省都・ハルビン。黒龍江省南部の都市で、19世紀後半から東清鉄道経営の中心地として当時のロシア帝国が入ったこ…

酷寒の中国最北端をゆく(序)

新年を迎え、一年で最も寒い季節になってきたので、「晩秋初冬すてきなニッポン」の連載と交互に、今日から久しぶりに中国ネタで、2007年1月に行ってきた中国最北端の村への旅を書いていこうと思います。 中国最北端の村は「漠河(ばくが)県」の「漠河郷(…