毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

ロシア正教の「聖ニコラス教会」(Long Summer Vacation;その73)

f:id:mainichigaharu:20200209230919j:plain▲「ブレーメンの塔」の足下に開く城外への道。

 2018年7月29日、ヴェネ通り。


 夏のタリンを楽しむ旅も、最終日になりました。午後には空港へ行ってヘルシンキ経由で日本へ戻らねばなりません。

 最終日の午前中は、また旧市街をぶらぶらと散策します。いつもどおり「ヴィル門」から旧市街に入り、「ラエコヤ広場」の手前、「オルデハンザ」のある「Vana Turg(旧市場)」と呼ばれる小広場に出たところで右に折れ、「ヴェネ通り(Vene)」へ入ります。この通りを進んで行くと、いちばん向こうの奥にドーム状の丸屋根を頂いた建物、おそらく教会が見えてきます。
 

f:id:mainichigaharu:20200209230901j:plain▲「ヴェネ通り」を進んで行くと、奥に丸屋根を頂く白堊の建物が見えてきます。

 丸屋根の建物の手前、「聖霊通り(Pühavaimu)」との角に、濃いクリーム色の大きな建物があり、壁になんとかと書かれています。「LINNAMUUSEUM」と書いてありますね。ここは「タリン市博物館(Tallinna Linnamuuseum)」。14世紀に建てられた商人の館を改造した博物館で、タリンの始まりから1991年の「歌う革命」(ソビエト政府によって厳しく禁止されてきた国歌、民謡、聖歌など祖国の音楽を歌うことでエストニアの独立を回復しようとした運動。最終的には30万人が参加して、1991年8月の独立回復へつながっていく。)までの歴史が展示されているそうですが、今回は時間の都合で、入館はせずに素通りしてしまいました。

 なお、この博物館の手前で左に折れて「聖霊通り(Pühavaimu)」へ入っていくと、その先には「聖霊教会(Pühavaimu kirik)」があるそうです。

f:id:mainichigaharu:20200209230906j:plain▲「タリン市博物館」から「聖霊教会」へ続く「聖霊通り」の入口。

 「タリン市博物館」の前を通り過ぎて「ヴェネ通り」を更に進むと、ドーム状の丸屋根を頂く建物に到達。さほど大きくはない建物で、「ヴェネ通り」に面した神殿みたいな造りの正面玄関では時折人が出入りしています。

 

 この建物は、「聖ニコラス教会」。

 

 おや、「聖ニコラス教会」、どこかにあったような。確か、「タリン観光案内所」の近くに美しい尖塔を持つ教会があったけど、あれは「聖ニコラス教会」ではなかったか?

 うむ、そうです、それは正しい。あれは確かに「聖ニコラス教会(ニグリステ教会、Niguliste kirik)」であった。でも、この「ヴェネ通り」にある丸屋根の建物も、「聖ニコラス教会」なのです。どちらも「ミラのニコラウス」に捧げて献堂された教会ですが、あちらは1230年から1275年頃に創建されたプロテスタントのルーテル教会で、今は宗教芸術のみを対象とする博物館となって開放されています。一方こちらはぐっと新しく、献堂式が行われたのは1827年で、ロシア正教会です。もちろん今も現役ばりばりの教会として機能しています。英語では「Tallinn Church of Bishop St. Nicholas the Miracle-Maker」とか、単に「Orthodox Church of St. Nicholas」と言うようですが、エストニア語では「Piiskop Nikolai Imetegija kirik」または「Tallinna Nikolai kirik」といい、「ミラのニコラウス」に捧げられた他の教会と区別して、ニコラウスのロシア語呼称「ニコライ(Николай)」が使われています。

 

f:id:mainichigaharu:20200209230923j:plain▲道が狭くて正面から全景を撮れないので、この写真が北側から側面を撮ったもの。

f:id:mainichigaharu:20200209230911j:plain▲正面玄関。日曜日の朝だったので、中ではちょうど日曜礼拝が行われているようです。

 ドーム状の丸屋根を頂くこの新古典主義の建物は、帝政ロシアに仕えたスイス・ティチーノ州出身の宮廷建築家ルイージ・ルスカ(Luigi Rusca)が手がけました。ただ、「ヴェネ通り」とその先の「Sulevimäe通り」のあたりには、12世紀の頃から既にロシア商人が集まっていて、ロシア市場が開かれていたそうで、その頃にはこのあたりに既に教会があったようです。15世紀に入って、城壁の再建が行われた際に、ロシア市場の中心にあった教会も移転することになり、1442年に今のこの場所に教会が建てられたそうです。

 この日は日曜日だったこともあるのでしょう、中ではちょうど日曜礼拝が行われていました。礼拝中でも、我々外国人観光客のような者でも自由に出入りすることができ、中の様子を窺うことができました。

 この教会のすぐ裏手は、「ヴィル門」から入ってすぐの「セーターの壁」から続く城壁になっていて、教会のすぐ北側には「ブレーメンの塔(Bremeni torn)」があります。高さ21.6mの四層仕立てのこの塔には円錐状の屋根はなく、馬蹄形をしています。教会と塔の間の城壁には貫通部分があり、城壁の内側と外側を行き来できるようになっています。塔の2階部分はかつては監獄として使われていたのだとか。塔に向かって左側の城壁の足下に扉があり、そのすぐ左には赤レンガ色の堅牢そうな古い建物があるのですが、どこからどう見ても、出入口が見当たりません。いったいこれは何の建物なんだろう?城壁についている扉が出入口?だとすると、城壁の中は空洞で、通路とかがつながってるってこと?入ってみたい! 

 

f:id:mainichigaharu:20200209230915j:plain▲右が「ブレーメンの塔」。中央のレンガ色の建物、出入口がないんだけど何の建物?