毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

闇夜のタリン旧市街(二たびエストニア;その8)

イメージ 2 ▲夏に来た時は見られなかった「闇夜のヴィル門」もまたなかなかの風情。

 2018年1月12日、長い夜。

 夜ばかりが続くような感じの暗いタリンで過ごすこと1週間、早や最終日を迎えてしまいました。仕事も無事終わったので、最後の晩は、旧市街地をのんびり散策してみましょう。外を散策するにはちょっと寒いですが、でもタリンの緯度は北緯59度26分、極東で言えば、樺太島(サハリン島)の最北端でも北緯54度20分だし、そのさらに北、オホーツク海の最北端部に面したハバロフスク地方のオホーツク町の緯度がようやく北緯59度22分。僕は瀋陽から来たわけですが、瀋陽の緯度は北緯41度47分、函館市の緯度がそれとほぼ同じ北緯41度46分ですから、そんな低緯度地方から来たら、それはもうタリンは寒くて寒くて寒くて寒くて凍死したらどうしようとマジで心配してました。なのに、この暖かさはどうしたことでしょう。だいたい到着した日に降っていたのは雪じゃなく雨だったし、この1週間、氷点下になった日がそもそもほんの数日しかなかったもんね。瀋陽なんか毎日夜明け直前はマイナス28℃ぐらいまで下がってるし、タリン、むしろあったかい。

イメージ 1 ▲午後9時半、左側に並ぶ花屋はもう店終いして暗く、ヴィル門がきれいに浮かび上がってます。

 旧市街地の入口と言えば、「ヴィル門」。13世紀につくられ始めたタリンの城壁は、数世紀を経て最終的には8つの門を持つ城壁として完成したようですが、そんな城壁の南東部にあるのがメインゲートになっている「ヴィル門」です。

 新市街の方から「ヴィル通り」の石畳をのんびり歩いてくると、その道の奥にライトアップされた「ヴィル門」が見えてきました。門柱にあたる円柱状で赤い丸三角屋根を頂いているのは見張り台も兼ねているのでしょうか。丸三角屋根がかわいらしいです。近づいて見ると、ただ白い照明に照らされているだけではなく、赤い丸三角屋根の部分にはクリスマスツリーの装飾のような細かい電球の装飾が施されているのがわかりました。

イメージ 3 ▲「ヴィル門」の内側に入って振り返ってみると、こんな感じ。

イメージ 4 ▲露店の出てない「セーターの壁」には照明だけが灯り、幻想的な雰囲気。

 「ヴィル門」から城壁の内側に入って、すぐ右側に入る「Müürivahe通り」は、昼間ならば城壁の足下に。エストニア特産のセーターやマフラー、ミトン、帽子などのニット製品を扱う露店が並んでいる「セーターの壁」という観光ポイントですが、もちろんこの時間は誰もいません。ただ、露店がはいる城壁の足下部分には明かりが灯され、暗闇の中に城壁が浮き上がるように見え、どことなく幻想的です。

 石畳の道を、中世の街の中に迷い込むように、そのまままっすぐ歩き続けます。城壁の内側には両側の建物から道の上に電飾が張られて、中世からそのまま残る建物たちが明るく浮かび上がり、中世を舞台にしたゲームのダンジョンの中をさまよい歩いているような気分にさせてくれます。一度来たことがある場所なので、ボスキャラなどは出現しないことがわかっていて安心ですが、こんな闇夜の中世ダンジョンに歩いて入ってきたらちょっと不安になるかも?

イメージ 7 ▲左の建物はイタリア大使館。夜でも国旗は掲げられたままですね。

イメージ 6 ▲中世の金持ちドイツ商人邸の建物を使ったレストラン「オルデ・ハンザ」もうもう閉店したかな?

 イタリア大使館の建物を右に見て、15世紀当時のレシピでエストニア料理を出してくれるレストラン「オルデ・ハンザ(Olde Hansa)」を左に見て、さらにまっすぐ進むと、正面に旧市庁舎が見えてきます。旧庁舎の前まで出れば、目の前に広がるのは、1月6日の晩にロシア正教のクリスマス・イブでクリスマス・マーケットが立って大いに盛り上がりにぎわっていた「ラエコヤ広場」。でも、この日はクリスマス・マーケットは跡形もなく、広場を囲む建物の多くも明かりが消え、広場の中央にクリスマスツリー(ヨールカ)が電飾を灯してぽつんと残っているだけでした。これは時間が遅いせいでしょうか、それともクリスマスが過ぎて、マーケットも終わっちゃったのかしら?

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            ▲正面に旧市庁舎の尖塔が見えてきました。なんか怖い感じもします。

イメージ 8 ▲クリスマス・イブのにぎわいが嘘のように静まりかえっていた「ラエコヤ広場」。