毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

ほんの短い昼の間に(二たびエストニア;その9)

イメージ 3 ▲ホテルの部屋の窓から、「アレクサンドル・ネフスキー大聖堂」にズーム。

 2018年1月13日、出発前に。

 タリンを去る日がやってきてしまいました。

 ここまで、タリンの夜の暗い写真ばかりUPしたので、最終日ぐらい明るい時間帯の写真をUPしよう。明るい時間帯が短いので、それはなかなか難しいのだが……(笑)。

 というわけで、宿泊先のホテルから空港へ出発する前、お昼過ぎに泊まった部屋の窓から見えた景色をUPしましょう。昨夏も同じホテルに泊まったので、当然のことながら、部屋の窓からは、半年前に見た覚えのある風景を見渡すことができます。

イメージ 1 ▲部屋の窓からは旧市街が一望のもとに見渡せます。

 泊まった部屋は今回も旧市街側だったので、窓からは旧市街が一望のもとに見渡せます。褐色の屋根が連なる中のあちこちから教会などの塔が天を衝くように屹立している景色は、日本ではまず見られないだけに、どれだけ眺めていても飽きない感じがします。

 前回来たときにも見えて、美しいなあと感じたのは、やはり右に「聖ニコラス教会」の尖塔、その左奥に「アレクサンドル・ネフスキー大聖堂」のタマネギ屋根、さらにその左には「のっぽのヘルマン」と「台所を覗く塔」。ほんとうに美しいです。

 「聖ニコラス教会(Niguliste kirik)」は、1230年代に船乗りの守護聖人ニコラスに捧げらるために建てられた教会。タマネギ屋根の「アレクサンドル・ネフスキー大聖堂(Aleksander Nevski katedraal)」は、ロシア帝国消滅16年前の1901年に竣工。

 1227から1229年にかけてドイツ騎士団が建てた石造りの要塞は「トームペア城」と呼ばれ、その後エストニアを支配した外国の全帝国はが基地としてその城を使い、現在は「国会議事堂(Riigikogu)」として使われています。「のっぽのヘルマン(Pikk Hermann)」はそんな「トーンペア城」の南西に立つ塔で、建てられたのは1420年から1430年にかけて。高さ45.6mで、塔頂ではエストニアの国旗がはためき、毎日日の出と日没の時刻には国家とともに国旗の掲揚と降納が行われているらしいです。そして「台所を覗く塔(Kiek in de Kök)」は、「トームペアの丘」の最も緩やかで攻め込まれやすい斜面を守るために1475年に建造されました。

イメージ 2 ▲尖ったの、タマネギ型の、とんがり屋根、チェスの「ルーク」みたいなの、様々でおもしろい。

イメージ 4 ▲円錐屋根が美しい「台所を覗く塔」と国旗はためく「のっぽのヘルマン」にズーム。

 こんな景色を眺めていたら、ふと、前回来たときには印象に残らなかった建物が見えているのに気がつきました。「台所を覗く塔」よりもさらに左の方で、十字架を頂いた尖塔が二つ並んで建っていて、その間の低いところにも十字架が見え、緑色の屋根をした教会の建物があるようです。地図で見ると、新市街ですね。「占領歴史博物館(Okupatsioonide muuseum)」の向かいにあるようです。これは「聖チャールズ教会(Kaarli kirik)」。ルター派の教会で、17世紀のスウェーデン統治時代の1670年、スウェーデン王カール11世紀が教会を作らせたのが始まりのようです。この最初の木造教会は大北方戦争中の1710年に焼失してしまいましたが、1870年にネオロマネスク様式で再建が成り、1882年にはふたつの塔が増築され、今の姿になりました。なかなか美しい塔だと思います。次回来ることがあったら、「占領歴史博物館」とともに訪れてみたいものです。

イメージ 5 ▲ふたつの尖塔を持つ「聖チャールズ教会」。訪れてみたい。