毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

【重要】ブログ移転のお知らせ


 旅のブログ「毎日ヶ春新聞」をいつもご愛読くださり、ありがとうございます。

 

 Yahoo!ブログ閉鎖に伴い、一時的にこのはてなブログに居を定めていましたが、このたび2020年5月15日をもちまして、新たな落ち着き先として、BIGLOBEが運営するウェブリブログへ移転することにしました。

 

 移転先のウェブリブログの方でも、これまでUPしたすべての記事が見られます。新しい記事もこれまでどおりUPしていきますし、過去記事も見直して内容を追加したり読みやすく書き直したりもしていきたいと思います。

 

 引き続き、旅のブログ「毎日ヶ春新聞」をごひいきにお願いいたしまーす。コメントなど大歓迎です。よろしくです!

 

 移転先URLはコチラ→ https://mainichigaharu.seesaa.net/

 

 

 f:id:mainichigaharu:20200515111724j:plain▲今年2020年4月4日、足立区葛西用水桜通りの満開の桜並木。

 

 

雪の青い森公園

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 平日に帰省しなければならない用事ができたので、11月29日(金)の朝から青森へ帰省してきました。

 お昼前に青森空港に到着したときは、路面は濡れていましたが、雨が降るでもなく雪が降るでもなく、青空が垣間見えるところもありました。

 しかし。

 用事を済ませてお昼に新青森駅近くの「丸亀製麺」で温かいわかめうどんと海老天とじ丼を食べている頃から雪が降り始め、午後からは車で弘前へ行ったのですが、東北自動車道大釈迦峠越えあたりでは雪が積もり始めていました。

 弘前での用事を済ませて、1918年(大正7年)に「第八師団長官舎」として建てられ、戦後は1951年(昭和26年)に市に払い下げられて市長公舎として利用され、今は国登録の有形文化財となっている建物を利用して2015年にオープンしたスタバの弘前公園前店で、しんしんと降る雪景色を眺めながらコーヒーを飲んでいるうちに(あろうことか、入ったときはエスプレッソマシンが故障していて絶賛修理中。スタバのエスプレッソマシンが壊れたらそこはもはやスタバではないと思うのだが。)、雪はますます激しくなり、東北自動車道浪岡ICからの帰り道は、大粒のボタン雪が正面から吹き付けて前方が見えなくなることもしばしばなほどの降りでした。

 青森市内に戻り、広田神社の近くで食事をして22時頃に外に出てくると、青森市内ももう真っ白。古川のホテルまで歩いて帰ろうと国道を渡ったら、青い森公園がこんな感じの雪景色になっていたというわけです。

 これだけまとまった雪が積もったのは、青森市でも今冬初めてだったのではないかと思われます。今年の冬は雪の多い冬になるか、少雪か。もう12月、青森の本格的な冬はすぐそこです。

 

同じ機材でヘルシンキへ。(Long Summer Vacation;その75)

f:id:mainichigaharu:20200209231026j:plain▲人は後ろから、荷物は前からの、タリン発ヘルシンキ行きAY1020便。

 

2018年7月29日、機内蒸し風呂状態。

 

 思いのほか暑かったタリン旅行ももう終盤。旧市街の散策からいったんホテルに戻って、荷物をピックアップして、空港へ向かいます。

 

 空港へは路面電車で行きます。空港まで行くのは4番系統、ホテル最寄りの「Paberi」電停から乗ればよろしい。

 

 今回のタリン旅行では、カドリオルグ宮殿へ行くのに1番系統に乗りましたが、そのときの車両はチェコの「タトラ」社製のいかにも東欧チックなデザインの車両でした。

 

 今回やってきた4番系統空港行きの車両は、「エア・バルティック」の広告をまとった車番517をつけた「ウルボスAXL」。スペインのメーカー「CAF」製造の超低床路面電車ブランド「ウルボス(Urbos)」シリーズの車両で、2015年から投入されている最新型です。3車体連接車で座席も多く、快適です。空港アクセスを担う4番系統は全車「ウルボスAXL」で運行されているとのことなので、あっ、てことは、タリンに到着した日、ひと駅ぶんだけ乗った車両も「ウルボスAXL」だったのね、そう言えば。

 

f:id:mainichigaharu:20200209231006j:plain▲ホテル最寄りの「Paberi」電停。ちゃんと屋根もベンチもあります。

 

f:id:mainichigaharu:20200209231012j:plain▲やってきたのは最新車両「ウルボスAXL」の517号機。スマートでかっちょええ。

 

 「Paberi」電停から終点の空港までは電停9つ、ダイヤ上の所要時間は19分です。路面電車でのんびり快適に空港へ行けるというのもいいものですね。

 

 これから乗るのは、14:50発のヘルシンキ行きAY1020便。ヘルシンキからJAL便に乗り継ぐので、チケットはコードシェアのJL6868便で発券してあります。

 

 いつ来ても、タリン空港のターミナルの中は人が少なめで、チェックインもほとんど並ばずに済ませられます。もちろん東京成田までスルーチェックインができ、ほとんど手ぶらでゲートまで進めるのが楽でいいです。タリンからヘルシンキまではシェンゲン条約加盟国間移動なのでパスポートコントロールもなく、保安検査だけというのも楽です。

 

f:id:mainichigaharu:20200209231016j:plain▲ノルウェーの言語学者オーセンの肖像画描かれたノルウェー・エアシャトルのB737-800。

 

 タリン空港を発着するフライトはほとんどがヨーロッパ圏内を結ぶ短距離路線で、飛来するのはB737やA320などのナロウボディ機ばかりですが、当然のことながら中には日本では見られない航空会社の飛行機もやってきます。そのうちの一つが上の写真、タリン空港に駐機中の「ノルウェー・エアシャトル」。ノルウェーのLCCで、尾翼に北欧が排出した著名人の肖像が描かれているのが特徴です。

 

 これは、「ノルウェー・エアシャトル」が2002年に初めてB737を就航させたときに始めたもので、今では北欧諸国だけでなく、スペイン、フランス、イギリス、アイルランド、スコットランド、アルゼンチン、アメリカの著名人も描かれるようになり、名付けて「Tail Fin Heroes(尾翼のヒーローたち)」。「ノルウェー・エアシャトル」のHPには現在、72人の肖像が掲載されています。ほとんど知らない人ばっかりですけどね……(笑)ざっと見た感じ、僕が知ってるのは、イプセン(ノルウェーの劇作家)、グレタ・ガルボ(スウェーデン生まれのハリウッド女優)、アンデルセン(デンマークの童話作家)、あと探検家コロンブスぐらいでしょうか。

 

 窓から見えているのは、レジLN-NGPをつけたB737-800。尾翼に描かれている肖像は、イーヴァル・アンドレアス・オーセン(Ivar Andreas Aasen)という19世紀のノルウェーの言語学者だそうです。このデザイン、例えばJAL機の尾翼に森鴎外とか徳川家康とか紫式部とかの肖像が描かれてたら楽しいと思うんですが、どうでしょう?

 

f:id:mainichigaharu:20200209231021j:plain▲ヘルシンキから到着したAY1019便。折り返しヘルシンキ行きAY1020便になります。

 

 ヘルシンキからタリンに所定14:25に到着するAY1019便が、折り返しで14:50発のヘルシンキ行きAY1020便になります。しかし、折り返しのために25分しか時間がとられていないのでは、定時出発はどだいムリ。だって、いつも70人がぎっしり乗って、手荷物もたっぷり持って、更に託送荷物も積載してるので、乗降に時間がかかっちゃって、25分で折り返せたことなんで今まで見たことないんだから。

 

 さて、この日のAY1020便の搭乗ゲートは2番ゲート。と言っても、ゲートから地上に下りて歩いて搭乗するんですけどね。搭乗が始まるまでは、各航空会社が共同使用しているラウンジ(Tallinn Airport Business Lounge)で「SAKU」ビールを飲みながら軽くランチをいただきます。タリン空港のラウンジ、いつ来ても利用者が少なく、静かで落ち着いていて、居心地がいいです。

 

f:id:mainichigaharu:20200209231031j:plain▲来たときと同じ機材に、来たときと同じように後ろから搭乗します。

 

 予想どおり搭乗開始は遅れ、当初の出発時刻である14:50に搭乗開始。この日の機材は、偶然にも、7月26日にヘルシンキからタリンに来たときに乗ったAY1023便と同じ機材のレジOH-ATGをつけた68席仕様のATR72-500ではないですか。行きも帰りも同じ飛行機でタリンを行き来することになるとは。

 

 いつものように後方扉から搭乗し、7番D席に着席。今回も機内は外国人観光客を中心にぎっしり満席です。しかし、荷物積載に時間がかかっていて、客室のドアは閉まったが、なかなかエンジンが起動しない。するとどういうことが起こるかというと、機内のエアコンが作動せず、蒸し風呂状態の暑さ!これはたまらん。めちゃくちゃ蒸し暑い。

 

 そんな機内に25分も放置されて乗客・乗務員が汗みどろになって発狂しそうになった15:15、ついにエンジンがかかり、プロペラが回り始めました。それまで、機内は平穏そのもの。みんな我慢強いなあ……

 

f:id:mainichigaharu:20200209231035j:plain▲フィンランド湾上空を絶賛飛行中。

 

 両方のプロペラが回転するや、15:17にすぐにタキシングを始め、15:28にRWY08から離陸。いったん離陸してしまえば、ヘルシンキはフィンランド湾を越えてすぐなので、効き始めたエアコンの冷気が機内に行き渡る間もなく、ヘルシンキ・ヴァンター空港にファイナルアプローチ。はやっ。

 

 そしてAY1020便は、15:45、RWY04Lに着陸し、15:52にスポットイン。この日の飛行時間は27分、到着は27分の遅れでした。飛行した分が丸々遅れになったのね……

 

 半時間ばかり乗継時間が減ってしまいましたが、1時間半あるのでまあなんとかなるでしょう。次は17:25発のJAL414便へ乗り継ぎます!

 

f:id:mainichigaharu:20200209231040j:plain▲ヘルシンキ・ヴァンター空港の西に広がる街並みを見ながらファイナルアプローチ。

 

聖カタリーナの小径(Long Summer Vacation;その74)

f:id:mainichigaharu:20200209230939j:plain▲「聖カタリーナの小径」を歩く白い衣装を身にまとった二人は修道女でしょうか。

 2018年7月29日、職人街。

 「聖ニコラス教会」の日曜礼拝を参観したあとは「ヴェネ通り」をラエコヤ広場の方に戻り、「ヴェネ通り」12番地の前までやってきました。

 「ヴェネ通り」12番地にあるレンガ色の建物は「カタリーナ・ギルド(KATARIINA GILD)」。このあたりにスタジオや工房を構える職人さんたちを束ねる組織として1995年に誕生した団体が拠点を置いている建物です。

 この建物の向かって左下に、裏手まで建物を突き抜ける通路というかトンネルがありまして、ここから東側の「ミューリヴァヘ通り(Müürivahe tänavat)」へ抜ける小路が、「聖カタリーナの小径(Katariina käik)」と呼ばれています。「聖カタリーナの小径」はこの「カタリーナ・ギルド」の建物が「ヴェネ通り」側の出入口だとして知られているようですが、「カタリーナ・ギルド」と「ヴェネ通り」14番地の建物との間にある細い石畳の道が本来の道で、この道がカギ形に折れ曲がって「カタリーナ・ギルド」の裏手へ続いているのです。
 

f:id:mainichigaharu:20200209230927j:plain▲右が「聖カタリーナの小径」、左は「聖カタリーナ教会」だった建物。

 

 「カタリーナ・ギルド」の裏手からまっすぐ「ミューリヴァヘ通り」へ伸びる石畳の小径の北側にある大きな石積の建物は「聖カタリーナ教会(Püha Katariina kirik)」だった建物です。正式名称は「聖カタリーナ・ドミニコ会修道院礼拝所(Chapel of the St. Catherine's Monastery of the Dominican Order)」というらしい。創建は1246年、トゥーンペアの丘の上にあった修道院がここに移ってきたもののようです。しかしこの修道院は、1531年に大きな火災に遭い廃墟と化してしまい、その後は教会としては使われなくなってしまったようです。

 

 教会としては廃墟となってしまった「聖カタリーナ教会」ですが、そこにあった中世の墓石のうち保存状態のよいものが、時代の変遷を経つつ、最終的にこの教会の「聖カタリーナの小径」に面した壁に全部で12枚、保存展示されています。

 

f:id:mainichigaharu:20200209230931j:plain▲「聖カタリーナ教会」南側の壁に保存展示されている中世の墓石たち。

 

 小径をさらに進むと、左側の「聖カタリーナ教会」の壁と右側の建物との間に、何本も屋根がかかっています。屋根というか、梁?でも瓦も載ってるし、棟の最頂部には雁振瓦みたいなのも載ってるから、やっぱり屋根?とにかく日本の鳥居のてっぺんの横棒(笠木と島木)だけみたいなのが小径の上にかかっているんです。この下で雨宿りするにしては幅が狭すぎるし、なんなんだろう、コレ。

 

 「カタリーナ・ギルド」のHPによれば、英語では「buttress」という語が使われており、「教会を補強するために8本の"buttress"が造られた」とあります。

 「buttress」は、建物を補強するために壁に直角に突き出した補強壁のことで、日本語では「控え壁」というようですが、空中にアーチをかけて補強するものを「飛び梁(flying buttress)」というそうで、ここではこの「飛び梁」のことだと思われます。

 

 今の「カタリーナ・ギルド」の建物の裏手一帯の複雑に込み入った建物群は、ちゃんと不動産登記がされた形で1366年にタリン市から貴族ヨハン・ハーメルに譲渡され、私有物件となり、その後、土地建物ごとに所有権は細かく分散されていったことでしょう。教会の壁を支えるために私有物件から「飛び梁」を渡すには、これら所有者や居住者と協議しなければなりません。結局、協議の結果、教会と所有者側との間に協定が結ばれ、私有地敷地から教会敷地に直接行ける通路を造り、私有地の所有者が変わらない限りその通路を使い続けられる(所有者が変わったらその通路はレンガで塞がれる。)ことが、「飛び梁」を渡す条件として定めらました。同HPでは、教会の建物を完成させるために市民と話し合いをするのがこんなにたいへんだったというのは妙なことだとしていますが、この時代にしっかりと法治が行われていたことはすごいなと思います。

 

 こうしてできあがった8本の「飛び梁」、8本が全部残っていたか記憶が定かではないのですが、空を仰いで「飛び梁」を眺めつつ石畳の小径を歩くと、本当に中世にタイムスリップしそうです。あ、でも、石畳にはつまづかないようにね! 

 f:id:mainichigaharu:20200209230935j:plain▲教会と市民との話し合いによって築かれた「飛び梁」は独特の形状。

 

 「飛び梁」をくぐり抜けた先は、小径はまた建物の中を貫くトンネルのようなところに入り、これを抜けると、「セーターの壁」のある通り「ミューリヴァヘ通り」に出ます。

 

 「聖カタリーナの小径」が人気の観光スポットになっているのは、中世そのままの歴史と雰囲気を感じられる道だからというだけではなく、上述の「カタリーナ・ギルド」に所属している職人さんたちの工房が、この入り組んだ中世の建物の中に入っていて、エストニアの様々なアートが垣間見られるということがあります。ガラス工芸、陶器、織物、革細工、帽子職人、宝飾品細工などの工房やギャラリーがあるので、アート好きにはここの工房巡りはたまらないと思いますよ。

 

f:id:mainichigaharu:20200209230954j:plain▲「聖カタリーナの小径」の東端は建物を突き抜けるトンネル状になっています。 

 

f:id:mainichigaharu:20200209230943j:plain▲「聖カタリーナの小径」の「ミューリヴァヘ通り」側の入口。

 

f:id:mainichigaharu:20200209230947j:plain▲「ミューリヴァヘ通り」。奥に見えるのは「修道士たちの後ろの塔(Tower behind Monks)」。

 

 

 

ロシア正教の「聖ニコラス教会」(Long Summer Vacation;その73)

f:id:mainichigaharu:20200209230919j:plain▲「ブレーメンの塔」の足下に開く城外への道。

 2018年7月29日、ヴェネ通り。


 夏のタリンを楽しむ旅も、最終日になりました。午後には空港へ行ってヘルシンキ経由で日本へ戻らねばなりません。

 最終日の午前中は、また旧市街をぶらぶらと散策します。いつもどおり「ヴィル門」から旧市街に入り、「ラエコヤ広場」の手前、「オルデハンザ」のある「Vana Turg(旧市場)」と呼ばれる小広場に出たところで右に折れ、「ヴェネ通り(Vene)」へ入ります。この通りを進んで行くと、いちばん向こうの奥にドーム状の丸屋根を頂いた建物、おそらく教会が見えてきます。
 

f:id:mainichigaharu:20200209230901j:plain▲「ヴェネ通り」を進んで行くと、奥に丸屋根を頂く白堊の建物が見えてきます。

 丸屋根の建物の手前、「聖霊通り(Pühavaimu)」との角に、濃いクリーム色の大きな建物があり、壁になんとかと書かれています。「LINNAMUUSEUM」と書いてありますね。ここは「タリン市博物館(Tallinna Linnamuuseum)」。14世紀に建てられた商人の館を改造した博物館で、タリンの始まりから1991年の「歌う革命」(ソビエト政府によって厳しく禁止されてきた国歌、民謡、聖歌など祖国の音楽を歌うことでエストニアの独立を回復しようとした運動。最終的には30万人が参加して、1991年8月の独立回復へつながっていく。)までの歴史が展示されているそうですが、今回は時間の都合で、入館はせずに素通りしてしまいました。

 なお、この博物館の手前で左に折れて「聖霊通り(Pühavaimu)」へ入っていくと、その先には「聖霊教会(Pühavaimu kirik)」があるそうです。

f:id:mainichigaharu:20200209230906j:plain▲「タリン市博物館」から「聖霊教会」へ続く「聖霊通り」の入口。

 「タリン市博物館」の前を通り過ぎて「ヴェネ通り」を更に進むと、ドーム状の丸屋根を頂く建物に到達。さほど大きくはない建物で、「ヴェネ通り」に面した神殿みたいな造りの正面玄関では時折人が出入りしています。

 

 この建物は、「聖ニコラス教会」。

 

 おや、「聖ニコラス教会」、どこかにあったような。確か、「タリン観光案内所」の近くに美しい尖塔を持つ教会があったけど、あれは「聖ニコラス教会」ではなかったか?

 うむ、そうです、それは正しい。あれは確かに「聖ニコラス教会(ニグリステ教会、Niguliste kirik)」であった。でも、この「ヴェネ通り」にある丸屋根の建物も、「聖ニコラス教会」なのです。どちらも「ミラのニコラウス」に捧げて献堂された教会ですが、あちらは1230年から1275年頃に創建されたプロテスタントのルーテル教会で、今は宗教芸術のみを対象とする博物館となって開放されています。一方こちらはぐっと新しく、献堂式が行われたのは1827年で、ロシア正教会です。もちろん今も現役ばりばりの教会として機能しています。英語では「Tallinn Church of Bishop St. Nicholas the Miracle-Maker」とか、単に「Orthodox Church of St. Nicholas」と言うようですが、エストニア語では「Piiskop Nikolai Imetegija kirik」または「Tallinna Nikolai kirik」といい、「ミラのニコラウス」に捧げられた他の教会と区別して、ニコラウスのロシア語呼称「ニコライ(Николай)」が使われています。

 

f:id:mainichigaharu:20200209230923j:plain▲道が狭くて正面から全景を撮れないので、この写真が北側から側面を撮ったもの。

f:id:mainichigaharu:20200209230911j:plain▲正面玄関。日曜日の朝だったので、中ではちょうど日曜礼拝が行われているようです。

 ドーム状の丸屋根を頂くこの新古典主義の建物は、帝政ロシアに仕えたスイス・ティチーノ州出身の宮廷建築家ルイージ・ルスカ(Luigi Rusca)が手がけました。ただ、「ヴェネ通り」とその先の「Sulevimäe通り」のあたりには、12世紀の頃から既にロシア商人が集まっていて、ロシア市場が開かれていたそうで、その頃にはこのあたりに既に教会があったようです。15世紀に入って、城壁の再建が行われた際に、ロシア市場の中心にあった教会も移転することになり、1442年に今のこの場所に教会が建てられたそうです。

 この日は日曜日だったこともあるのでしょう、中ではちょうど日曜礼拝が行われていました。礼拝中でも、我々外国人観光客のような者でも自由に出入りすることができ、中の様子を窺うことができました。

 この教会のすぐ裏手は、「ヴィル門」から入ってすぐの「セーターの壁」から続く城壁になっていて、教会のすぐ北側には「ブレーメンの塔(Bremeni torn)」があります。高さ21.6mの四層仕立てのこの塔には円錐状の屋根はなく、馬蹄形をしています。教会と塔の間の城壁には貫通部分があり、城壁の内側と外側を行き来できるようになっています。塔の2階部分はかつては監獄として使われていたのだとか。塔に向かって左側の城壁の足下に扉があり、そのすぐ左には赤レンガ色の堅牢そうな古い建物があるのですが、どこからどう見ても、出入口が見当たりません。いったいこれは何の建物なんだろう?城壁についている扉が出入口?だとすると、城壁の中は空洞で、通路とかがつながってるってこと?入ってみたい! 

 

f:id:mainichigaharu:20200209230915j:plain▲右が「ブレーメンの塔」。中央のレンガ色の建物、出入口がないんだけど何の建物?

 

 

 

レストラン「Talukõrts」(Long Summer Vacation;その72)

f:id:mainichigaharu:20200209230857j:plain▲夕食に「Grilled salmon」。あくまでもシンプル。ジャガイモもおいしい。

 

 2018年7月28日、タリン最後の夕食。

 

 カドリオルグ宮殿から再び路面電車に乗って旧市街方面へ引き返し、ホテルへ戻って休憩し、日が暮れたら晩メシにでもと思っているといつまで経っても日は暮れないので、まだまだ日は高いですが、ホテルを出てごはんを食べに行きます。

 またまた「ヴィル門」から「ヴィル通り」を旧市街へ入り、「セーターの壁」の通りの入口の反対側(つまり「ヴィル門」から入って左手)に、店の前のベンチにでかい牛のオブジェが座ってる「GOODWIN Steak House」というレストランがあってすごく目立ってるんですが、その2軒隣ぐらいに入り口があった「Talukõrts」というレストランに、行き当たりばったりで入ってみることにしました。

 f:id:mainichigaharu:20200209230845j:plain▲木目鮮やかなテーブルと半ば同化しちゃってるメニューは写真付きで助かります。

 

 1階が「Helsinki」というたぶんフィンランド料理のレストランになっていてこれもかなり目立ってるんですが、その建物の端っこに入口があって、奥へ進んでいくと階段があり、これを3階まで上がると、レストラン「Talukõrts」です。道路に面した入口脇には小さくメニューが掲げられていますが、上に上がる階段はかなり奥まっているので、行きにくいというか入りにくい雰囲気があるので、旧市街のメインストリートに面しているのにちょっと隠れ家的な感じもします。

 

 ここのレストランは、田舎風の雰囲気の中で伝統的なエストニア料理が楽しめるということで、フロア係のおねえさんも中世エストニアの田舎っぽいメイド服みたいな制服を着ています。
 

f:id:mainichigaharu:20200209230841j:plain▲デザートとドリンクのページ。ここではビールは「A Le Coq」がメインですね。

 

 メニューには写真もあって、言葉がわからなくてもだいたいなんだかわかります。メニューは4カ国語で書かれてて、英語以外の2つはエストニア語とフィンランド語だろうなと想像はつくのですが、もう1つが何語か自信がありません。おそらくスウェーデン語ではないかと思うのですが……

 

 エストニア二大ビールと言えば「SAKU」と「A.Le Coq」ですが、ここのレストランは「A.Le Coq」派のようです。2017年7月に初めてエストニアに来て初めて飲んだビールが「A.Le Coq」だったので、そのときを思い出しつつ、「A.Le Coq Premium」をオーダー。

 

 そして、エストニアは、ニシンやサーモンがおいしいのはもちろんですが、肉類、特にポークがおいしいと思うんです。なので前回、前々回と、かなりポークを食べまくったのですが、今回はまだ食べられていない。ここでようやく、ポークにありつけました。「Pork chop with roasted onions」をオーダー。それと「Grilled salmon」も。どちらもシンプルな味付けで、ほっこりとジャガイモが添えられて、今回のタリンの最後のディナーを楽しむことができました。  

 

f:id:mainichigaharu:20200209230851j:plain▲やっとありつけた豚肉料理「Pork chop with roasted onions」、シンプルで良い。

 

 

カドリオルグ宮殿(Long Summer Vacation;その71)

f:id:mainichigaharu:20200209230740j:plain▲エストニアの路面電車。車両はチェコ製。1系統の終点「Kadriorg」にて。

 

2018年7月28日、タリン市電。

 

 タリン西郊にある海洋博物館「Lennusadam」から旧市街地の方へバスで戻ってきて、午後は今度は路面電車に乗って東の方に行ってみます。

 

 タリン市内では、路面電車(タリン市電;Tallinna trammiliiklus)が4系統、「ヴィル門」の東側のショッピングモール「Viru Keskus」の近くの「Hobujaama」電停で全系統が交わる形でX字のように走っています。1888年に馬車鉄道で運行が始まったタリン市の路面鉄道は、その後、2度の大戦など様々な紆余曲折を経つつ、現在は直流600V、狭軌、営業距離4系統39kmとなっています。

 

 今回ヘルシンキからタリンに到着したときに空港から4経統の「Tondi」行きに乗りましたが、たったひと駅乗った次の電停「Ülemiste linnak」で事故運休となってしまったので、僕はこれまでそのたったひと駅ぶんしかタリンの路面電車に乗ったことがありません。なので、ちょっと長めに乗ってみたいと思います。

 

f:id:mainichigaharu:20200209230736j:plain▲「ヴィル広場(Viru väljak)」のカーブですれちがう1系統「Kopli」行き。

 

f:id:mainichigaharu:20200209230731j:plain▲1系統「Kadriorg」行きの車内。3連接車両の最後尾車両です。

 タリンの路面電車を走っている車両については、コチラの記事でも少し書きましたが、チェコの車両メーカー「タトラ」社製の車両が多く活躍しています。1980年から1988年にかけて「タトラ」社製「KT4形」のソ連モデル「KT4SU形」が多数導入され、それに東西ドイツ各都市から譲渡された「KT4D形」も加え、新造した低床車体を中間に組み込んで3連接車両「KT6T形」に改造し、更に2016年から2018年にかけて再度の近代化工事を経て「KT6TM形」となって現在に至っています。

 「ヴィル門」の東側の大通りが交わる「ヴィル広場」の北側にある「Mere puiestee」電停から、1系統「Kadriorg」行きに乗ります。車両はまさにその3連接の「KT6TM形」です。我々は「タリンカード」を持っているので、これをピッとするだけで乗ることができます。でも終点「Kadriorg」までは遠くはなく、実は4つめの電停がもう終点。ちょっと物足りなかったかな。 

 

f:id:mainichigaharu:20200209230806j:plain▲カドリオルグ宮殿と色とりどりの花が盛りのフラワーガーデン。

 「Kadriorg」電停で降りてすぐ目の前の通り(「ヴァイツェンベルジ通り(Weizenbergi)」)をそのまままっすぐ先へ歩いて行くと、前方には木々が生い茂る広い公園のようなところがありまして、ここが「カドリオルグ宮殿(Kadrioru loss)」を中心とする「カドリオルグ公園(Kadrioru park)」です。木陰をのんびり散歩するだけでも気持ちの良い場所です。

 1700年~1721年の「大北方戦争」のさなか、スウェーデンの属領だったエストニアが1710年に征服されてロシア・ツァーリ国に編入されると、時のツァーリ・ピョートル1世は、妻エカテリーナのために、タリン西郊のラスナマエ(Lasnamäe)地区に小さなオランダ風のマナーハウス(荘園領主の邸宅)を購入します(だからなのか、ラスナマエ地区は今もタリンの中でロシア系の人々が多数住んでいる地区になっています。)。しかし、もっと広いところをと考えたピョートル1世は、別の場所に新しく宮殿を建てることにし、夏の離宮として1718年7月25日に着工されます。イタリアの建築家ニコロ・ミケッティが設計を手がけ、バロック様式でデザインされた宮殿は完成までに5年の歳月を要し、「エカテリーナの谷」を意味する「カドリオルグ」という名が付けられました。ピョートル1世とエカテリーナは何度か建築現場に足を運んだそうですが、1725年にピョートル1世が亡くなると、エカテリーナはもはやこの宮殿に興味を示すことはなかったそうです。


 公園の林の中をしばらく歩いていると開けたところに出て、宮殿の建物が見えてきました。思ってたより建物は小さい感じがしますが、1828年から1830年まで大がかりな改修工事が施された宮殿は、たいへん美しいそのバロック様式の姿で今もたたずんでいます。

f:id:mainichigaharu:20200209230751j:plain▲バロック様式の宮殿と夏の花盛りのフラワーガーデンとの美の競演。

 宮殿は今、「カドリオルグ美術館(Kadriorg Art Museum)」として公開されています。入館料は8ユーロですが、タリンカードがあるとここも無料。タリンカード、無敵。

 ここには、エストニア国立クム美術館の海外コレクションが集められていて、西側諸国やロシアの芸術家によって16世紀から20世紀の間に制作された多数の絵画、版画、彫像などが展示されています。建物そのものに施された化粧漆喰(スタッコ)による装飾や天井のフレスコ画なども見所ですし、中世の貴族たちが身に着けていた衣装なども展示されています。

 宮殿の目の前に広がる庭園も見逃せません。イタリア式の庭、オランダ式の水路、フランス式の軸対象な歩道や花壇の配置、ロシア式の花などなど、多様な文化圏に由来するバロック様式の要素が組み込まれているらしい。そうとわかっていてもいなくても、庭園では色とりどりの夏の花が今を盛りに咲き誇っていて、美しいことこのうえありません。

 f:id:mainichigaharu:20200209230757j:plain▲中世あるいは帝政ロシア時代の貴族たちが来たであろう衣装なども展示されています。 

 

f:id:mainichigaharu:20200209230744j:plain▲宮殿と同じく、庭園も幾何学的な図形を主とした構成を持つバロック様式。

 宮殿の中にはカフェがあるので、ここでティータイムにしましょう。

 色とりどりのマカロンやけっこう大きめのショートケーキなんかもあるので、飲み物と一緒にいただきます。そういえばこの日は、ホテルで朝食をたっぷり食べてから「Lennusadam」へ出かけたっきりなので、ランチは食べていないんでした。

 ティータイムでひと息ついたら、宮殿前の庭園から再び「ヴァイツェンベルジ通り」に出てさらに奥へと進んでいくと、また一つ立派な建物があります。これはエストニア大統領の官邸。日本の総理官邸は警備が厳しくて近づくこともままなりませんが、こちらエストニアは、特に囲いも見張りもなく、正面玄関のすぐ前で子どもが遊んでいたりします。なんておおらかなんでしょう!

 大統領官邸の建物そのものは1938年に建てられたもので、外観は宮殿によく似ているような気もします。建物の上にエストニアの旗がはためいていれば大統領は国内にいるというしるしだそうなので、この日は国内にはいないのね……だからこんなに無防備なのかしら?

 

f:id:mainichigaharu:20200209230802j:plain▲宮殿内のカフェで、ココアとともに、マカロンやショートケーキなどを。

 

f:id:mainichigaharu:20200209230747j:plain▲こちらは今も現役の大統領公邸。国旗が上がってないので大統領は国内に不在らしい。