毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

「聖オレフ教会」へ。(Long Summer Vacation;その66)

f:id:mainichigaharu:20200207002333j:plain▲雲一つない青空を背景にそびえる文字通りの「尖塔」。

 

 2018年7月27日、また塔だ。

 「NUKU人形芸術劇場兼博物館」を出て、北東へのびる「ライ通り(Lai tänav)」をまたのんびりと歩いていきますと、前方に、鋭い先端を天に向けた尖塔が見えてきます。「聖オレフ教会」です。

 「聖オレフ教会」へ向かって歩く「ライ通り」の両側には三角屋根の中世の家屋が建ち並んでいて、通りが石畳なのもあいまって、本当に中世ヨーロッパに迷い込んだかのような気分になってとても楽しいです。

 「聖オレフ教会」にだいぶ近づいたところにある3軒並びの建物は、「三人兄弟(Kolme venda)」と呼ばれています。「ピック通り(Pikk tänav)」の北端あたりには「三人姉妹(Kolm Õde)」と呼ばれる3軒並びの建物があるそうで、それと対になっているようです。ライ通り38番地、40番地、42番地の並びあう3軒が、「三人姉妹」に比べてデザインが男性的で厳格な雰囲気がある建物であることから、「三人兄弟」と呼ばれるようになったようです。真ん中の40番地の建物は15世紀に建てられたとされ、1940年以降は、タリン市とハリュ県の公文書館などとして使われてきたものだそうです。

 

f:id:mainichigaharu:20200207002630j:plain▲ライ通りを進むと、奥に「聖オラフ教会」の尖塔が見えてきます。

 

f:id:mainichigaharu:20200207002337j:plain▲右からライ通り42番地、40番地、38番地の建物が3軒合わせて「三人兄弟」。

 

f:id:mainichigaharu:20200207002329j:plain▲「三人兄弟」の長男か、末っ子か、ライ通り42番地の素敵な建物。

 「三人兄弟」の前を通り過ぎて100m足らずで、「聖オラフ教会(Oleviste kirik)」に着きます。


 タリンが1219年にデンマークに占領される前の11世紀の頃、スカンジナビア人コミュニティの中心があったこのあたりに、教会は既に存在していたようです。「オラフ」の名称は、ノルウェー王(在位1015年~1028年)でキリスト教の聖人とされる「オーラヴ2世(Olaf II Haraldsson)」から来ているとのこと。しかし、史料の中に「聖オラフ教会」が登場するのは1267年になってからで、それ以前についての記録は残っていないようです。なので、正確な建造年はわかりませんが、14世紀に入って大規模な改修工事が行われたようです。

 そしてこのまさに「尖塔」と呼ぶにふさわしい「尖った塔」、今でこそ高さ124mですが、かつて159mの高さだったこともあり、正確な記録はなく異論はあるようですが、1549年から1625年までは、世界で最も高い建物だったのだとか。

 この高さが災いして何度も落雷を受け、寄港する船の目印と避雷針としては役だったものの、何度も落雷で火災を起こすことになり、完全に焼け落ちたことがこれまで3回あるので、今ある姿は19世紀以降に再建されたものです。

  

 そしてこの尖塔には登ることができるので、登ってみようではないか。

 

f:id:mainichigaharu:20200207002342j:plain▲尖塔のほぼ真下から見上げてみた。

f:id:mainichigaharu:20200207002346j:plain▲尖塔の登れるいちばん上まで登って屋根のとんがり部分を見上げてたところ。