毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

ラエコヤ広場(初欧州大陸はエストニア;その13)

イメージ 1 ▲「ラエコヤ広場」に立って、旧市庁舎全景を眺めます。

 2017年7月10日、中世をそぞろ歩く。

 この旧市庁舎を南辺にして、その北側に広がっているのが「ラエコヤ広場」。そんなに広い場所ではありませんが、周囲を中性の建物にずらりと囲まれた石畳のこの広場は、タリン旧市街の下町の中央に位置し、デンマーク王がトームペアに城を築く以前から、スカンジナビアの商人たちが市を立てていたそうです。お祭りや結婚式などが行われる場所でもあったので、今でも野外コンサートやマーケット、カーニバルなどが随時催されていて、数回前の記事にUPしたように、夏のマーケットもそれはもう活気にあふれていました。 ただ、僕が再度訪れたこの日の夕方はマーケットは立っていなくて、のんびり散策できる感じでした。

イメージ 3 ▲この日はマーケットが出ていなかった「ラエコヤ広場」。

 この広場にそれまで名前があったのかどうかは知りませんが、前回の記事でご紹介した市庁舎が1404年に建てられると、タリン市庁舎はエストニア語で「Tallinna raekoda」ということから、「Raekoja plats」、つまり「市庁舎(ラエコヤ)広場」と呼ばれるようになったのだそうです。

 ラエコヤ広場の中央にある丸い石からは、タリン旧市街の5つの塔(旧市庁舎、聖ニコラス教会、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂、聖マリア大聖堂、聖オラフ教会)を同時に全て見ることができるのだそうです。うーん、そんな丸い石、どこにあったんだろう?僕もそこに立って見回してみたかった。

イメージ 4 ▲旧市庁舎の全景をカメラに収めるのはなかなか難しい。

イメージ 2 ▲ゴシック様式の本体とは異なるバロック様式の尖塔。高さ65m。

 ラエコヤ広場を旧市庁舎前を通り過ぎて西へ抜け、両側にラストランが並ぶDunkri通りを進むと、Rataskaevu通りにぶつかったところの道の真ん中に屋根がかかった井戸があり、「つるべ井戸の広場(Rataskaevu Plats)」と呼ばれています。中世のいつ穿たれた井戸かは定かではありませんが、この井戸にまつわる伝説は主に2つあるようです。一つは、井戸の中に水の悪霊が住んでいて生け贄を捧げなければ井戸を枯らしてしまうと信じられていたため、人々は時々羊や牛など動物の死骸を投げ込んでいたが、ネコが生きたまま放り込まれることがいちばん多く、井戸のつるべにつかまって 難を逃れるネコもいたので、この井戸は「猫井戸」と呼ばれるようになった、または、住民たちは時々生きた動物を井戸に投げ入れていたが、ある時適当な生贄が見つからず、仕方なく死んだ猫を放り込んだところ、井戸の水はたちまち汚染され、それ以来使えなくなってしまった、というもの。もう一つは、水の悪霊はタリンの街を呪っていて、この井戸を使って壊滅的な洪水を起こしてタリンを滅ぼしてしまおうとしていると信じられていたので、人々は、水の悪霊をなだめ、洪水が起きるのを防ぐために、この井戸に死んだ猫を放り込んでいた、というものです。

イメージ 5 ▲中世の人々が水の悪霊と対峙していた井戸。「猫井戸」と呼ばれています。

 「つるべ井戸の広場」からRataskaevu通りを少し下ると、これまたすばらしい尖塔がそびえる「聖ニコラス教会(ニグリステ教会、Niguliste kirik)」に至ります。バルト海交易の要衝だったゴットランドから移り住んできたドイツ商人が、数々の奇跡を起こしたとされる4世紀の修道士であり大主教であった聖ニコラスに捧げるために、1230年にこの場所に教会を建てたのが始まりだそうです。

 ここから、Rataskaevu通りはRüütli通りとなり、さまざまなショップやレストランが並んでいて、眺めるだけでも楽しいアーティスティックな看板が吊されています。そんなRüütli通りを抜けて「自由の広場(Vabaduse väljak)」に出ます。ここはもう旧市街を抜けて新市街に出たことになります。ここには濃いクリーム色の壁と尖塔が印象的な「聖ヨハネ教会(Jaani kirik)」があります。この教会は非常に新しく、建てられたのは1930年代だとか。

イメージ 6 ▲「ニグリステ教会」という別名を持つ「聖ニコラス教会」。

イメージ 7 ▲Rüütli通りに並ぶショップの看板。これは何屋さんなんでしょうね。

イメージ 8 ▲新市街に出たところにある「自由の広場」に建つ新しい教会「聖ヨハネ教会」。