毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

台所を覗く塔(初欧州大陸はエストニア;その14)

イメージ 1 ▲緑豊かな公園の奥に見える石積みの塔。円錐形の朱色の瓦屋根がかわいい。

 2017年7月10日、タマネギ屋根。

 タリン旧市街の名所旧跡のネーミングはどこも妙にセンスがいいというかかわいらしいというか、道に「短い足」、「長い足」という名前をつけたり、「太っちょマルガレータの塔」だとか、「のっぽのヘルマンの塔」、「親方たちの中庭」、「セーターの壁」など、それだけで街の散策が楽しくなってしまいます。

 その中で、タリン旧市街の下町を歩いていて、いつも視界のどこかに見えていた塔があり、その形が僕の頭の中にある「ムーミン一家のおうち」に似ているので、ぜひ行って近づいてみたいと思っていたのですが、「自由の広場」まで出るとすぐもう近くのようだったので、そこから坂を上って行ってみました。

イメージ 2 ▲なんとなくムーミン一家のおうちに似てるような気がして、気に入った。

イメージ 3 ▲「台所を覗く塔」、左奥に「聖ニコラス教会」、そして抜けるような青い空。きれいだなあ。

 この石積みの塔につけられた名前は「台所を覗く塔(Kiek in de Kök)」。1475年に、トームペアの丘の最も緩やかで攻め込まれやすい斜面を守るために建造され、その高さは49.4m(タリン・シティ・ツーリスト・オフィス運営の「Visit Tallinn」サイトでは、建造年は1470年、高さは38mとしています。)で、あまりに高いので、当時の見張りの兵士たちが「真下の煙突越しに民家の台所が覗けるぞ」と冗談をとばしたことからこの名がついたのだとか。 今は、タリン歴史博物館の分館として開放されています。

イメージ 4 ▲帝政ロシア時代にツァーリの権威誇示のためもあって建てられた「アレクサンドル・ネフスキー大聖堂」。

 「台所を覗く塔」の前は「Harjumägi(ハリュマギ;ハリュ門の丘)」という緑豊かな丘の公園になっていて、その中を散策しながらでも、その前の道「Komandandi tee通り」を歩くのでも、のんびりと上っていくと、大きなタマネギ屋根を4つのっけた華麗壮大な寺院に行き着きます。これは「アレクサンドル・ネフスキー大聖堂(Aleksander Nevski katedraal)」です。タマネギ屋根と聞いて、爆風スランプの名曲「大きな玉ねぎの下で」を即座に思い出す人なんて、今や少数派なんでしょうね、きっと。

 帝政ロシア時代にツァーリの権威誇示のためもあって建てられたにもかかわらず、竣工したのはロシア帝国消滅のわずか16年前の1901年のこと。1242年、エストニアとロシアの国境にあるペイプシ湖で、ノヴゴロド征服を狙うドイツ騎士団を「氷上の戦い」で破り、北方十字軍の東進を食い止めたことで知られるノヴゴロド大公・聖アレクサンドル・ネフスキーが祀られています。

イメージ 7 ▲大聖堂の正面。この日は手前の屋根あたりが修理工事中でした。

イメージ 5 ▲正面に近づいて見上げると見えるタマネギは3個。

 大聖堂の近くのとある建物の閉ざされた扉の横にプレートがはめられていて、エストニア語とロシア語が記されているのを見つけました。エストニア語の方は「SELLES MAJAS PEATUS PEETER I OMA ESMAKORDSEL VIIBIMISEL TALLINNAS 13-27 DETS 1711A」とあります。ネットで調べてもこのあたりにある名所旧跡としてはまったくヒットしないのではっきりはわからないのですが、ウェブ辞書で一語一語意味を調べてみたところ、「ピョートル大帝が1711年12月13日から27日まで、タリンを初めて訪れて滞在した家」というような意味っぽいです。これは正しいでしょうか。どなたかご存じの方がいらっしゃったら、おしえていただきたいです。

イメージ 6 ▲大聖堂前の民家っぽい建物の入り口脇にはめられていたプレート。ピョートル1世というのはわかる。