毎日ヶ原新聞

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夏の津軽は「あけぼの」で③(津鉄で金木)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818111400.jpg ▲夏の奥羽本線川部駅。隣の「撫牛子」は難読駅。

 

 さて、一夜明けて2005年7月16日(土)、この日も青森はじりじりと朝からヒートアップです。

 

 この日は青森駅からスタートして、まずは太宰治のふるさと金木へ行こうと思います。

 

 青森から08:33発弘前行き普通列車642Mに乗ります。もちろん701系電車です。701系、全然北東北のシーンに似合いません。
 これに乗って終点の弘前で深浦行きの普通列車に乗り換えるつもりだったのですが、そこは単線本線の悲しさ。到着列車の遅れの影響で青森出発が遅れたため、弘前まで行っていたのでは乗り換えられそうになくなってしまいました。そこでやむなく弘前乗換をあきらめて川部で下車し、川部で深浦行きを待つことにしました。

 

 川部駅。五能線の北の起点であり、かつては黒石線も分岐していました。黒石線は一時弘南鉄道が引き継ぎましたが、それも14年ほどで廃止になってしまい、国鉄JR時代・弘南鉄道時代を含めて一度も乗らずじまいで終わってしまいました。
 それにしても、川部駅のホームに降りると、むわっと暑さがまとわりついてきます。津軽の夏です。

 

 弘前からの深浦行き普通列車2826Dがやってきました。ここで6分ほど停車したのち、向きを変えて五能線へ入っていきます。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818111413.jpg キハ48の二両編成深浦行き。

 

 藤崎、林崎、板柳、鶴泊、陸奥鶴田と、岩木山を左に見ながら広大なリンゴ畑の中をキハ48を二両連ねた列車は進み、10:11に五所川原に到着です。

 

 五所川原からは津軽鉄道。夏に津軽鉄道に乗るのはこれが初めて。4分の接続で10:15発の津軽鉄道津軽中里行き5レに乗換えます。車両は津軽21形気動車「走れメロス号」。いつもは単行のところ、この日は後ろにもう一両付いて二両で運行ですが、後ろの一両は団体貸切のようです。芦野公園へでも行くのでしょうか。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818111417.jpg 以前の【社説】で既出の写真。

 

 列車は津軽平野を北上し、金木に到着しました。以前冬に来たときは駅舎が改築中で、小さなプレハブの小屋で切符を買ったおぼえがありますが、今回金木駅はすっかり完成し、いつのまにか立派な駅舎に生まれ変わっていました。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818111408.jpg ▲金木駅のホームにはアジサイが満開。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818111422.jpg 太宰のふるさと金木駅。

 

 金木で最初に行くところと言えばもちろん太宰治の旧居「斜陽館」。しかし、行ってみたら向かいの津軽三味線会館での三味線ライブが11時からだということを知り、先にそちらのほうへ行くことにしました。

 

 道路を挟んで斜陽館の向かい側には1999年に新しくできた金木観光物産館「MADENY(マディニー)」と津軽三味線会館があります。なにしろ金木は津軽三味線発祥の地。ここでは一日に何回か津軽三味線のライブをやっているので、見ない手はありません。

 

 この日のライブは津軽三味線まんじ流のまんじ愛華さんとそのお弟子さんの二人が夏らしく浴衣で登場。津軽弁での楽しいトークや津軽三味線の紹介も交えながら、じょんがら、よされの定番など数曲を披露してくれます。津軽三味線の奏法には「叩き撥」と「弾き撥」があり、一言で言ってしまえば激しい曲調が「叩き撥」、より旋律重視なのが「弾き撥」ということになり、今では「弾き撥」の流派は非常に少なくなっていると聞きます。まんじ流の三味線がどちらだったかはちょっと忘れてしまいましたが、生で聞く津軽三味線、とりわけじょんがらの響きを聞くと、やはり体が震えます。僕は青森とは言っても岩手に近い南部地方の生まれで言葉も文化も生まれついて持っているのは南部人なのですが、こうして津軽三味線の音に揺さぶられると、津軽っていいなあと掛け値なしに思います。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818111426.jpg ピンぼけ失礼。右が愛華師。

 

 津軽三味線の太い音に揺さぶられたら、腹が減りました。金木観光物産館「マディニー」の中にある食堂で「太宰らうめん」を食べます。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818111430.jpg ▲太宰らうめん。どこが太宰なのか。

 

 ところで「マディニー」ってなんでしょう。そう、実は津軽弁なんです。
 「マディニー」のHPでは「津軽では『丁寧に』とか『心をこめて』と言う時『までに・・・・する。』と言います。例えば『までに、もてなす』、これは『丁寧にもてなす、心をこめてもてなす』と言う意味になります。この『までに・・・』、これが転じてマディニーとなりました」と解説されています。
 「までに」、いい言葉だと思います。「何ばすにしてもまでにさねばまいねっきゃ」=「何をするにしても丁寧にしなければいけませんよ」。そんなふうに使います。

 

 昼食を終えたら、定番中の定番、太宰治の生家、斜陽館をめぐります。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818111434.jpg 斜陽館全景。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818111405.jpg 太宰治の記念館です。

 

 ここはもう余計な説明は不要でしょう。斜陽館、1907年に建てられた大地主津島家の屋敷、太宰の生家。戦後津島家が手放してから斜陽館という名前で旅館が営まれていましたが、1996年に金木町が買い取って資料館に生まれ変わりました。太宰ファンであってもなくても、ここに立ち寄ってみる価値はあります。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818111442.jpg 斜陽館の仏間から庭を見る。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818111438.jpg 斜陽館の庭。

 

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▲斜陽館の板の間には囲炉裏が。
 
 小説「津軽」の中では、蟹田やら三厩やら津軽を周遊してやっと金木の生家へ戻ってきたときの様子が、こんなふうに描かれています。
 
 私は定期船でひとり蟹田を発ち、青森の港に着いたのは午後の三時、それから奥羽線で川部まで行き、川部で五能線に乗りかへて五時頃五所川原に着き、それからすぐ津軽鉄道で津軽平野を北上し、私の生れた土地の金木町に着いた時には、もう薄暗くなつてゐた。蟹田と金木と相隔たる事、四角形の一辺に過ぎないのだが、その間に梵珠山脈があつて山中には路らしい路も無いやうな有様らしいので、仕方なく四角形の他の三辺を大迂回して行かなければならぬのである。金木の生家に着いて、まづ仏間へ行き、嫂がついて来て仏間の扉を一ぱいに開いてくれて、私は仏壇の中の父母の写真をしばらく眺め、ていねいにお辞儀をした。
 
 さあ、金木駅へ戻るとしましょう。次は太宰とは逆に金木から三厩を目指します。