毎日ヶ原新聞

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ニシン漁盛んなりし頃(2017年月イチ日本・夏休み編;その9)

イメージ 1 ▲ニシン漁盛んなりし頃にはこんな番屋やニシン御殿が小樽や松前などにたくさんあったんでしょうね。

 2017年8月13日、夏の甲子園。

 旧「浦河公会会堂」の裏に回り込むようにして奥へ進んでいくと、砂利道の奥に、広い敷地を前にして瓦屋根に白壁の立派なお屋敷がありました。こりゃまた大きくて豪勢なお屋敷だ、ニシン御殿か、と思いつつ見学してみると、確かに、小樽沿岸を中心に鰊建網などを経営した漁家でした。その名も「青山家漁家住宅」。小樽でニシン漁で財をなしていた網元「御三家」、青山・白鳥・茨木のうちのひとつである青山家の住宅であり番屋であります。小樽から移築してきたこの建物は、母屋が焼失に伴い1919年(大正8年)に再建されたもの、倉庫が1887年(明治20年)代に建てられたものです。敷地内には、鰊粕製造用の大釜や圧搾機、「外便所」、「文庫倉」、「石倉」、「板倉」、「米倉」、「海産干場」、「網倉」、「船倉」などが残っており、ニシン漁に必要な設備や建物がこれほど集約的に保存されているところは少なく、非常に貴重な遺構です。

イメージ 2 ▲鰊粕製造用の大釜と圧搾機。鰊から魚油を搾り出して鰊粕や鰊油を製造したそうです。

 この母屋は「番屋」、つまり、漁民が漁場の近くの海岸線に設ける作業場兼宿泊施設でして、ニシンが獲れる3、4、5月の3ヶ月観は、親方家族だけでなく、漁師も一緒に泊まり込んで漁に出ていました。そんなわけで、母屋の中には、親方家族が住む立派な部屋も、漁師たちが寝泊まりするりょうしがとまりこみで働いていました。建物の中は親方の家族が住むりっぱな部屋のほかに、板張り吹き抜けの囲炉裏のある座敷を囲むように畳みが上下階に分かれて敷いてあり、そこが漁師の寝泊まりスペース。1人に1畳が割り当てられていたそうです。

 青山家はもとは山形の飽海郡遊佐郷青塚村の出で、1859年(安政6年)に北海道へ渡り、小樽沿岸を中心にニシン建網などの経営に着手します。青山家の中興の祖と言える青山留吉は、ニシン漁で財をなし、やがて「旧青山家漁家住宅」として「開拓の村」に移築されることになる「元場(もとば)」と呼ばれたこの建物を小樽に建てただけでなく、故郷・遊佐にも豪邸を建てます。これが「本邸」。今も「青山本邸」として現存しています。

イメージ 4 ▲母屋の内部。板敷きの周囲に二段になった畳敷きの部分があり、ここで漁師が寝泊まりしてました。

 留吉の後を継いだ二代目の政吉も財をなし続けます。「ニシン大尽」と呼ばれた政吉は、美意識が高く、一流好みだったので、青山家最盛期の1917年(大正6年)、「番屋」の「元場」とは違う芸術的な建築物を目指して、娘夫婦の三代目民治・政恵夫婦とともに別荘の建設を決意。新宿の有名デパートの総建築費が50万円ほどという時代に、なんと31万円を投じて、約6年半の年月をかけて、とにかく贅を極めた「青山別邸」を「元場」の近くに建てたのだそうな。まさにミリオネア。巨万の富。またの名を「ニシン御殿」、あるいは「小樽貴賓館」。この別邸は今もそのまま小樽市祝津に残っていて、公開されています。

 ところでこの「青山家漁家住宅」、NHK朝の連続テレビドラマ「マッサン」のロケに使われたそうで、2015年1月の81、82、91、93~95回放送に使われたそうですよ。

イメージ 3 ▲NHKの朝ドラ「マッサン」のロケが行われてたんですね。

 「漁村群」から出てきて、馬車鉄道通りの一本東側の道を、立ち並ぶ往事の建築物を眺めながら歩いていくと、「私立北海中学校」という看板が門にかかった建物の前に出ました。旧「北海中学校」の校舎が保存されているようです。

 北海中学校の創立は1905年(明治38年)。前身は、あの時計台が敷地の中にあった札幌農学校の第三期生らが中心となって1885年(明治18年)に設立した私立北海英語学校で、現在は北海高等学校となっています。最近では2015年から3年連続で夏の甲子園に出場し、2016年には準優勝したので、ご存じの方も多いかと思います。今回この旧「北海中学校」校舎を訪れたときも、2017年夏の甲子園出場を祝う幕が正面玄関に掲げられていました。

イメージ 5 ▲「私立北海中学校」。1905年創立。今の北海高等学校。甲子園強豪校です。

 「開拓の村」に保存されているのは、1908年(明治41年)から翌年にかけて建築された本館部分。明治半ばから大正期の官庁や学校の木造建築によく見られる意匠であるとのことで、正面玄関を軸に、左右両翼の張り出し窓や屋根上の飾り窓の配備、軒まわりの装飾に至るまでシンメトリックで、屋根上の飾り窓、軒窓のブラケットなども含めて洋風様式の採り込みが図られている一方、窓は全て観音開きではなく、日本式の引き違い窓が採用されているのが特徴。ま、いつとは言明しないけれど、僕が通った小学校も相当古くて、こんなふうに木張りの廊下が延々と続いていたっけね。懐かしいです。

イメージ 7 ▲正面玄関を入ってすぐ、突き当たって左右へ廊下が長くのびてます。左は校長室と理科教室、右は事務室。

イメージ 6 ▲この長い廊下をぞうきんがけとかしたんだろうな。当時のオルガンなどが置かれて展示されています。