毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

「さくら」でランタンフェスティバル⑧(さよなら長崎)

イメージ 1 ▲昭和28年(1953)11月製造の307号電車がごとごととバスターミナル前を過ぎていった。

 

 2005年2月19日・20日、長崎を離れる。

 

 興福寺からの帰りは川沿いにぶらぶら歩き、眼鏡橋までやってきました。
 高校生の時、鹿児島へ行く機会があったので帰りに長崎にも寄ろうかという話があったのですが、ちょうど長崎大水害が起きたばかりで眼鏡橋も崩壊していて、そんな時に観光なんて行くわけにはいかないということで流れてしまいました。以来一度も長崎を観光で訪れる時がないまま時間が経っていましたが、今回こうしてやっと眼鏡橋を見ることができました。

 

イメージ 2 ▲激甚災害を経てよくぞ復活してくれました。

 

 昼の「江山楼」から何も食べずに歩き回って、気がつけば午後10時を回っているではないか。この時間帯でも思案橋の繁華街なら何か食べられるかもと行ってみました思案橋。まだまだ不夜城のごとくにぎわってます~。何かおいしいものないかなーと歩いていると、ふと目に入ったのが「五島うどん」の看板。ハテ、五島うどん、どこかで聞いたことがある……と古い記憶を呼び起こしてみると、かなり前に全日空の機内誌で紹介されていたのを見て目を付けてたんだ!よし、今夜は五島うどんに決定!

 

 お店は思案橋の電停のほうから細い通りをしばらく入ったところにある「竹花亭」。「名物地獄だき」なるメニューを注文。インスタントコンロに鉄鍋をかけて湯が煮立ったところへ五島うどんを放り込み、店主に言われるがままに待つこと数分(8分ぐらいだったかな)。ゆであがったうどんを沸騰する鍋から直接箸ですくい上げてつゆや薬味につけて食べるというワイルドさ。つけつゆはあごだしのつゆと玉子の黄身の二種類があり、どちらにつけて食べても、ををを!ま・い・う・ー。
 ちょっとあんた、絶品じゃありませんか。おまけに前回出張で来たときに空港で県庁の人に「これがうまいんですよ」とおしえてもらった「大村寿司(長崎空港のある大村市のあたりで食される押し寿司)」もあったのでひと皿もらいました。これまたおいしいぃぃぃ。ちゃんぽんに皿うどんもおいしかったけれど、五島うどん地獄だきも大村寿司も、長崎はうまいものだらけだったーー。(トルコライス食べそびれました。)

 

イメージ 3 ▲鉄鍋の中で煮えたぎっているのが五島うどん。早く食べたいけれど店主のゴーサインがまだ出ない。

 

 まだ見足りない、食べ足りない。しかし明けて2月20日(日)は早々に長崎を離れねばなりません。

 

 空港行きのバスが出るバスターミナルでバスを待っていると、外観がちょっと古めの路面電車がごとごとと通り過ぎていきました。あとで調べてみると、この307号電車は昭和28年(1953)11月製造とのこと。50年を経てまだ現役とはたいしたものです。

 

イメージ 4 ▲長崎空港、晴れ。

 

イメージ 5 ▲海を隔てて大村市街地。

 

 そして長崎空港へやってきてしまいました。
 長崎空港は大村湾に浮かぶ海上空港。連絡橋を渡って大村市のほうから空港へ。すばらしく晴れ上がった天気に大村湾の波がきらきらと輝いています。

 

 搭乗するのは羽田行きJAL1842便。機材はA300-600R。10:45の出発までしばらく展望フロアへ行ってみました。周囲を見回すと、深く入り組んだ大村湾の様子がなんとなく見て取れます。

 

 「NAGASAKI」と描かれた植え込みを背景にゆっくりとプッシュバックを始めたのは伊丹行きJAL2372便でしょうか。機材は引退が近いMD-81のようです。これが飛ぶのを見届けたら、長崎に名残は尽きないけれど、羽田行きの飛行機に乗り込むことにしましょうか。

 

 坂のある素敵な街・長崎。きっとまた訪れようと思います。そしてもっともっとたくさん長崎の街を見て歩き、もっともっとたくさんおいしいものを食べようと思います。その時には寝台特急「さくら」はもういないけれど、でもきっと長崎の駅に降りたときには「さくら」のことを思い出すでしょう。

 

 さよなら「さくら」、そしてさよなら長崎。

 

イメージ 6 ▲こちらはたぶん大阪伊丹行きJAL2372便。退役近いMD-81での運航。

 

イメージ 7 ▲東京羽田行きJAL1842便はA300-600Rでの運航ですね。