毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

大浦天主堂、そして祈念坂。(念願かなってセイロンティーの旅;その53)

イメージ 2 ▲「日本二十六聖人」の殉教に思いをはせねばならない。

 2017年4月30日、思案橋から眼鏡橋、今日は寺町廻ってゆこうか。

 出島ワーフで長崎発祥「食べるミルクセーキ」を体験できてクールダウンしたので、長崎を去る前にもう一ヶ所ということで、大浦天主堂へやってきました。

 大浦天主堂と言えば、グラバー園とともに、修学旅行の中高生であふれる大人気スポットという印象ですが、この日もなかなかのにぎわい。外国人も多く見かけます。

 よく思い出してみると、僕は大浦天主堂にやってくるのは今回が二度目。前回は2005年2月、東京から寝台特急「さくら」に乗って、春節のランタン・フェスティバルの長崎を訪ねたのでした(その時の記事はコチラ。)。

イメージ 1 ▲12年半ぶりの大浦天主堂。

イメージ 7 ▲前回も中には入らなかったが、今回も入らない(笑)。

 大浦天主堂は、国宝。正式名称が「日本二十六聖殉教者堂」であることを知っている人はどれだけいることか。僕も今の今まで知らなかったよ。

 1597年2月5日、豊臣秀吉の命令によって長崎の西坂の上で、カトリック信者の日本人20名、外国人6名が磔の刑に処されました。禁教が厳しくなるのは家康になってからで、秀吉の頃は長崎はまだキリシタンの町として栄えていて、処刑のときには、処刑場のまわりに大勢のキリシタンが励ましに来ていたと言われ、ポルトガル船は祝砲を撃ったとも伝わっています。

 このとき処刑された26人を「日本二十六聖人」と呼び、大浦天主堂が1865年に完成すると、この二十六聖人を守護の聖人として献堂式が盛大に挙行されました。現存するキリスト教建築物としては最古のものだそうです。

イメージ 4 ▲祈念坂の上から眺める大村天主堂。瓦屋根が印象的。

イメージ 6 ▲細身で繊細なつくりの八角尖塔。

イメージ 5 ▲尖頭アーチを持つ窓が美しい。ステンドグラスになっているのかどうかはわからない。

 大浦天主堂の正面に向かって左側の小路を進むと、天主堂の脇に沿ってずっと上っていける坂があります。「祈念坂」といい、天主堂前の観光客があふれる喧噪が嘘のように、この坂道は通る人もなく、ひっそりとしています。この坂を上りながら、天主堂の側面を眺めるのがまた興味深い。ゴシック様式でありながら屋根は瓦屋根だったり、尖頭アーチ型の窓にはめ込まれた紋様が美しかったり、遠くに長崎湾が見渡せたり。

 ふと見ると、ずっと遠くに、十字架を頂く明るいターコイズブルーの屋根に白壁の建物を発見!何かと思って調べたら、海星中学校・高等学校の海星修道院だった。マリア会から派遣されたフランス人宣教師達により1892年(明治25年)に創立されたというのだから、それはそれでスゴイ。

イメージ 3 ▲祈念坂の上から見えたいかにもキリスト教の建物は海星修道院だった。

 このあとグラバー通りをぶらぶら歩いてカステラなんぞを買い込み、またぶらぶら歩いて下の方へ下ってきました。

 大浦海岸通りに出たところで、なにやら巨大で立派でレトロな建造物を発見。何かと思ったら、「旧香港上海銀行長崎支店記念館」。おーー、「ホンシャン」じゃないか!今でも香港の銀行と言えば「香港上海銀行」というぐらいですが、開港して間もない幕末の長崎にもさっそく代理店を置き、1892年(明治25年)には長崎支店を開設したのだそうです。今残っているこの建物は、1904年(明治37年)に竣工した新社屋。大きすぎて写真に収まらないけれど、1996年に「長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館」として開館し、2014年には「長崎近代交流史と孫文・梅屋庄吉ミュージアム」を併設したそうです。おー、梅屋庄吉!梅屋庄吉は香港で「梅屋写真館」を営むのだが、そのときに孫文と知り合って意気投合し、辛亥革命成就に向けて資金援助をしていくのです。僕が香港にいたとき、2015年だったかな、「梅屋写真館」のあった場所にプレートを設置しようという動きがあったっけよ。

イメージ 8 ▲大きすぎてフレームをはみ出てる旧「香港上海銀行長崎支店」。

 長崎市をあとのする前に、最後に眼鏡橋に寄りました。2005年のときの記事にも書いたけれど、初めて眼鏡橋に来ようとしたのは高校2年生のときで、でもそのときちょうど長崎大水害で眼鏡橋も大きな被害を受けたので、そんな被災地に観光には行けないということであきらめたことがあるんです。その後、2005年になって初めて訪れることができ、でもそのときは夜で、こうして昼間の天気がよくて明るいときに訪れたのは今回が初めて。眼鏡橋、最初に架けられたのは1634年だというからスゴイ。もう400年近く経っているのか。今度はもう少しゆっくり川べりを散歩してみたいですね。

イメージ 9 ▲12年半ぶりに眼鏡橋。

イメージ 10 ▲1634年に架けられて以来、修復を繰り返しながら生き長らえています。

イメージ 11 ▲2つの半円が描く曲線が美しい。