毎日ヶ原新聞

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餃子が食べたくなったら瀋陽へ(その5)

イメージ 2 ▲瀋陽故宮の「大政殿」。八角形なのが特徴。

 2014年11月15日、瀋陽故宮のつづきです。

 瀋陽故宮の「大清門」「崇政殿」「鳳凰楼」や後宮があるのは「中路(中院)」と呼ばれていまして、その東側は「東路(東院)」で、ヌルハチ時代の、つまり瀋陽故宮の中で最も古い建物が建ち並んでいます。

 その中でも際立っている建物は「大政殿」。この広い空間では諸王を集めて政治や軍事を議論し政策決定を行ったり、国家的な儀式や典礼が行われたりし、まさに清王朝の中枢的空間でありました。「大政殿」は皇帝が鎮座する中枢の中の中枢と言える場所。

イメージ 1 ▲「中路(中院)」から「東路(東院)」に抜けると突然この空間が広がってびっくり。

イメージ 3 ▲このタイプの建造物は北京故宮にはないはず。瀋陽独特のものでしょう。

 形が八角形というのはたいへん珍しく、北方騎馬民族が遊牧のときの住居とする組み立て式テント「ゲル」の形を模したものではないかとのことです。上部には、他の建物と同様に「大政殿」と記した額がかかっていますが、もちろんこれにも満文が併記されています。

 「大政殿」の中には、中央の一段高くなって8本の柱が立つ八角形の壇の上に玉座が鎮座。但しこの玉座は1970年代に北京の故宮から移したものなのだとか。

 玉座を囲んで上には扁額、両脇には対聯がかかっています。いずれもまばゆいばかりの金文字。扁額には「泰交景運」の四文字。乾隆帝の筆です。王と臣下が親しく交わり、上下の風通しが良く、心が一つであるの意。対聯には「神聖相承恍睹開國宏猷一心一德」、「子孫是守長懐紹庭永祚卜世卜年」と記され、清王朝の歴史が語られています。

イメージ 4 ▲「大政殿」の掲げられた額にはもちろん満文も。

イメージ 5 ▲「大政殿」の中に鎮座する玉座。扁額、対聯の文字は乾隆帝のもの。

 「大政殿」があるのは東路(東院)のいちばん北側。そこから南へ、「東大門」から「大政殿」へ続く通路の両側に八の字に、片側5棟ずつ10棟の建物が並んでいます。これらは八旗十王らの事務所で、「八旗亭」または「十王亭」と呼ばれています。「大政殿」を頂点に八の字に「八旗亭」が置かれる配置は、北方騎馬民族が「大幄次」という軍営を張る形に似ています。

 清の開祖たちがここ瀋陽にいた時間は決して長くありませんが、中国最後の統一王朝として300年近くも続くことになった清朝の始まりの頃の錯綜した歴史の入り混じるここ瀋陽故宮は、北京故宮とは比較にならないほど建物や宝物はしょぼく、管理もしょぼいですが、一度は訪れる価値はあると言ってよいでしょう。

イメージ 7 ▲「大政殿」に上がる通路は皇帝しか通れないから、今は誰もここを通れる人はいないのだ。

イメージ 6 ▲「大政殿」の斜め後方から「八旗亭」の並ぶ南側を眺める。いちばん奥が「東大門」。