毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

首里城正殿(旅するニッポン、春たけなわ;その38)

イメージ 1 ▲首里城内郭の中心を占める正殿、その前には「御庭(うなー)」。

 2016年4月9日、琉球伝統菓子。

 「漏刻門」をくぐると、いよいよ内側へ入ってきた感じがしてきます。ここに有料エリアへの券売所があり、「広福門」を抜け、「下之御庭(しちゃぬうなー)」を突っ切って、「奉神門」に至ります。首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る最後の門です。

 「奉神門」をくぐると、そこはハッとするほどの空間の広がり。首里城の中心部、「御庭(うなー)」です。正面に「正殿」、向かって右(南側)が「南殿・番所」、左(北側)が「北殿」で、これらに囲まれた中庭広場の空間を「御庭」といいます。「正殿」が南面せず、西を向いているのは非常に大きな特徴です。琉球にとって当時の宗主国であった中国に敬意を表すために、琉球王朝のすべての建築物が中国のある方向、つまり西を向いて建てられているのだとか。風水によって、太陽が昇る方向である東は神聖な方位とみなされ、国王は最も神聖な存在であるので、神聖な太陽を象徴するために国王が太陽の昇る東に座るように正殿が西向きに建てられたとする説もあるようですが。

イメージ 2 ▲朱塗りを中心に鮮やかな彩色塗装に圧倒される「正殿」。

 「御庭」には、「磚(せん)」と呼ばれる色違いの敷き瓦が敷き詰められ、儀式の際の立ち位置がはっきりわかるようになっています。中央の道を「浮道(うきみち)」といい、国王や「冊封使」等限られた人だけが通ることを許されていたというのも、中国の影響を強く受けているからでしょう。

 「正殿」は琉球王国最大の木造建造物で、「百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)」とも呼ばれ、文字通り全国百の浦々を支配する象徴であり、最も重要な建物です。二層三階建ての造りや装飾化した龍柱は日本や中国にもない琉球独自の形式だそうです。

イメージ 3 ▲ティータイムは琉球菓子です。どれも素朴でおいしいです。

 さて、ここでひと休み。

 「正殿」まで来ると、いよいよ建物の内部を見て回るのですが、そんな建物の一つに、琉球王朝時代の王子の控所で、諸役の者たちを招いて懇談する場でもあった「鎖之間(さすのま)」は、琉球王国時代の伝統菓子やお茶を楽しむことができる有料体験施設になっています。

 お茶は、「さんぴん茶」。「ジャスミン茶」のことで、中国語の「香片茶(シァンピェンチャー)」から転じたのでしょう。

 楽しめる伝統菓子は、「花ぼうる」、「くんぺん」、「ちいるんこう」、「ちんすこう」の四種。

 「花ぼうる」は南蛮菓子の一つで、往時は江戸でもよく食べられていたそうですが、美しい切込みを入れたものは現在では沖縄にしか残っていないそうです。

 「くんぺん」は「薫餅」とも。胡麻餡まんじゅうと言ったところでしょうか。「冊封使」の歓待料理や祭祀に用いられた格調高いお菓子だったとか。

 「ちんるいこう」は、卵をたっぷり使い、表面に赤く染めた落花生や桔餅(きっぱん;クニブなどの柑橘類の実を砂糖で煮詰め、丸めて糖衣をかけたもの)を飾った蒸し菓子。

 「ちんすこう」は、言わずと知れた沖縄のおみやげの大代表。固まったラードと砂糖をよく混ぜ、そこに小麦粉を加えて生地を作り、型抜きして焼いた菓子。王国時代は菊花の形をしていましたが、食べやすいように後に細長い形に変わったそうです。

イメージ 4 ▲左のいちばん大きいのが「花ぼうる」。「ちんすこう」はおなじみの細長い形で。

 お茶と琉球菓子でまったりしたあとは、「正殿」の中を歩いてみます。

 「正殿」は木造の三階建てで、一階は主に国王自ら政治や儀式を執り行う「下庫理(しちゃぐい)」、と呼ばれ、場、二階は国王と親族、女官らが儀式を行う「大庫理(うふぐい)」、三階は通気のための屋根裏部屋になっています。

 「正殿」二階の「大庫理」の中央には、「御差床(うさすか)」という玉座がしつらえてあります。これは豪華絢爛!部屋の上部には、かつて中国の皇帝から贈られた「御書(ぎょしょ)」の扁額が幾つも掲げられていたそうです。今は古い記録をもとに再現した扁額が掲げてあり、玉座の上には「中山世土(ちゅうざんせいど)」と書かれています。

イメージ 5 ▲ここに国王がましまして、儀式や祝宴なんかを執り行ってたんですねー。

 「正殿」内部の見学コースには、「正殿」の骨組みの模型も展示してあるのですが、その柱の多さに驚きます。こんなに柱が多いのでは、広い部屋は作れないんではないかという気がしますが、「正殿」には一枚約1kgの瓦が約57,000枚使われているそうで、それを支えるためには硬い地盤とたくさんの柱が必要だということなんですね。

 「正殿」内部の見学を終えると、最終見学ポイントで、沖縄サミットの晩餐会に利用された場所でもある「北殿」を抜けて、首里城の見学は終了します。いや、なかなかおもしろかったし、勉強になりました。琉球王朝、深いです。もっといろいろ知りたくなりましたよ。

イメージ 6 ▲「正殿」の骨組み模型。ものすごくたくさんの柱が使われていることがわかります。