毎日ヶ原新聞

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雨上がりの首里城(旅するニッポン、春たけなわ;その37)

イメージ 1 ▲首里城への最初の入口とも言える「守礼門」。

 2016年4月9日、そのひゃんうたきいしもん。

 「那覇そば」を食べているうちに、ざんざん降りだった雨もなんとか上がったので、さっそくまずは首里城へ行ってみました!首里城は世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一部にもなっています。

 首里城は琉球王国の王城。1429年から1879年までの450年間、琉球諸島を中心に存在した琉球王国が、かつて海外貿易の拠点だった那覇港を見下ろす丘陵地にグスク(御城)を築いたのが首里城です。

 その最初の入り口とも言えるのが、朱塗りの美しい「守礼門」。上部にかけられている扁額には「守礼之邦(しゅれいのくに)」と書かれていて、「琉球は礼節を重んずる国である」という意味だそう。石垣と城門の多い首里城の中でもとりわけ美しい城門です。中国「牌楼(はいろう)」造りだそうですが、なるほど、そう言われてみるとそうですね!そして「守礼門」は「上の綾門(いいのあやじょう)」という愛称もあるそうです。「上の方にある美しい門」という意味だそうです。最初の建立は、1527~55年(第二尚氏4代目尚清王(しょうせいおう)の頃。

イメージ 2 ▲園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)。

 守礼門をくぐって少し行くと、左手に真っ黒い石垣にはさまれた白壁の門があります。「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」、とても読めませんな。。

 この石門とその奥の森を「御嶽(うたき)」と呼び、神社で言えば石門は拝殿にあたり、その後ろには本殿の建物があるべきところ、本殿に相当するのが「御嶽」と呼ばれる森そのもので、国王が首里城から出かける時にここで道中の安全を祈願した、いわば「礼拝所」。琉球石灰岩で造られており、形は門ですが人が通る門ではなく、いわば神への「礼拝の門」とでも言うべきか。建立は1519年、尚真王(しょうしんおう)の時代。

イメージ 3 ▲城郭の内側へ入る第一の門「歓会門」。

イメージ 5 ▲「歓会門」を抜けた先には、右手に内郭を囲む城壁、左に見えるのは通用門的な「久慶門」。

 次にくぐる門は、「歓会門(かんかいもん)」。城郭の内側へ入る第一の正門で、「歓会」とは歓迎するの意。中国皇帝の使者「冊封使」を首里城へ招いた際に歓迎の意を表するために名付けられたものです。別名は「あまえ御門(あまえうじょう)」。「あまえ」とは琉球の古語で「喜ばしいこと」の意。創建は1477~1500年頃の尚真王代と言われています。石のアーチ状の城門の上に木造の櫓を載せた造りは、首里城内の門によく見られるものです。門の両脇には魔除けのシーサーがいますね。

イメージ 6 ▲「冊封七碑」の一部。左は「中山第一」、右は「活潑潑地」と刻まれています。

 「歓会門」をくぐって石畳の坂を上っていくと、内郭城壁へ入る手前の斜面にいくつか石碑が置かれています。全部で七つあり、「冊封七碑」と呼ばれています。すぐ近くに、王宮の飲料水として使われた水が湧く「龍樋」があり、中国皇帝の使者である歴代の「冊封使」がたちが「龍樋」の水の清らかさを讃えて残した題字などを石碑にしたものです。

 そしていよいよ内郭に入る門が、「瑞泉門(ずいせんもん)」。「歓会門」に続く第二の門で、別名「ひかわ御門(うじょう)」。創建は1470年頃と言われ、門の両脇には一対の石獅子。「歓会門」のようなアーチ状の石門とは違って、双璧の門の上に直接櫓が載っているこのタイプです。

イメージ 4 ▲この石畳の坂段を上った突き当たりが「瑞泉門」。

 首里城の創建年代は実は明らかではなく、最古の遺構はおおよそ14世紀末のものだろうと推定されているに過ぎません。琉球王国第一尚氏王統の第2代目の国王・尚巴志王が1429年に南山王他魯毎を滅ぼして三山を統一し、琉球王国最初の統一王朝を成立させると、首府として栄えるようになった首里にあって王家の居城として用いられていた首里城も整備されていったのでしょう。首里城は内郭と外郭に大きく分けられ、内郭は15世紀初期に、外郭は16世紀中期に完成したと言われています。

イメージ 7 ▲内郭へ続く第三の門「漏刻門」。

 「瑞泉門」をくぐって中に入ると、そこにはまだ城壁が続いており、本当に内郭の内側に入ったとは言えません。少し先にある次なる門をくぐらなければならないのです。

 その次なる第三の門は「漏刻門(ろうこくもん)」。当時、首里城へ登城するのに駕籠に乗って参上した高官でも、国王に敬意を表してこの場所で駕籠から降りたことから、別名「かご居せ御門(うじょう)」とも。江戸ならば「下馬札」が立てられていた場所ですな。

 「漏刻」は中国で言う「水時計」のこと。門の上の櫓に水槽を置き、水が漏れる量で時間を計りました。時計係がここで太鼓を叩き、それを聞いた別の係が「東(あがり)のアザナ」、「西(いり)のアザナ」、そして「右掖門(うえきもん)」で同時に大鐘を打ち鳴らして城内外に時刻を知らせたそうです。

 ここまで上ってきてふと南の城外を眺めると、首里城の一部かと見紛うような古風な建物が見えました。これは沖縄県立芸術大学首里当蔵キャンパス。こんなキャンパスで学べるなんて、うらやましい!

イメージ 8 ▲「漏刻門」から見下ろすと、中央に「久慶門」、ずっと奥に「歓会門」。

イメージ 9 ▲首里城の一部かと見紛う建物は県立芸大首里当蔵キャンパス。