毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

本山支線一往復(萩の花咲く秋のニッポン旅;その49)

イメージ 2 ▲終点長門本山駅で折り返しの準備をするクモハ123系単行電車。

 2014年9月28日、歴史ある路線なれど。

 この本山支線、雀田~長門本山2.3kmが開業したのは、1937年(昭和12年)のこと。当時、この鉄道を経営していたのは宇部電気鉄道でした。このあたりは昔(19世紀後半ぐらい)から、今の大手総合化学メーカー「宇部興産」の地盤で、鉱山業などが営まれていて、鉱産物の積み出しや社員の通勤の足を確保するために鉄道事業も行われ、その子会社として存在していたのが宇部電気鉄道です。雀田から長門本山までの区間は、その先の海の沖合いに海底炭田(宇部炭田)があって、そこから産出される石炭を輸送するために建設されたのが本山支線なのだそうです。

イメージ 3 ▲開業から4年間(1937年から1941年まで)は「本山駅」だったそうな。

イメージ 1 ▲かつて炭鉱業で栄えた路線も今や1日わずか3往復。

 雀田からやってきた1323Mは、8分後の07:38に発車する宇部新川行き1224Mとなります。雀田が終点ではなく、宇部新川まで直通するのですね。この列車を逃すと、その次の列車は18:37発の宇部新川行き1240Mまで列車はありません。しかし、ここで11時間待っているより、歩いて行った方が、宇部新川駅には早く着けると思います(^^)。

イメージ 4 ▲雀田駅から5分走って8分休んでまた5分走ると、また雀田駅へ戻るんだな。

イメージ 5 ▲長門本山を乗客8人で発車。平日はきっともっと混んでいるのでしょう。

 07:38、1224Mは、高校生や地元住民など合計8人を載せて、長門本山駅を発車しました。日曜日で8人なら上々ではないでしょうか。平日ならきっと立ち客も出るぐらい混んでいるのだと信じたいです。

 長門本山の次は、さっきも通った浜河内。本山支線開業当時は、1943年までの短い間ですが、長門本山~浜河内間に「子持御前停留場」、浜河内~雀田間に「療養所停留場」という2つの停留場があったそうです。逆に浜河内駅は本山支線開業時にはまだ開設されておらず、浜河内駅が開業したのは1957年(昭和32年)のこと。「子持御前」は、近くの竜王山の中腹にある、安産や子宝を祈願するおやしろだそうです。

イメージ 6 ▲浜河内駅の待合室の中。

イメージ 7 ▲本山支線開業当時、浜河内駅はまだありませんでした。

 そして長門本山駅から5分、もう雀田駅に到着してしまいました。僕はここで下車しますが、1224Mはここで7分停車し、07:50に宇部新川へ向けて発車して行きます。

 小野田線本山支線、往復乗っても所要時間はわずか10分。しかしこの10分の乗車を達成することは非常に難しい。1日3往復だけの支線の完乗ミッション、なんとか完了いたしました!ヽ(^。^)丿

イメージ 8 ▲雀田駅に到着した1224M。7分の停車後、宇部新川駅へ向かいます。