毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

餃子が食べたくなったら瀋陽へ(その2)

イメージ 2 ▲中国遼寧省瀋陽の毛沢東主席は今日も健在。

 2014年11月15日、日本による近代建築群。

 香港からのCZ636便は、3時間26分の飛行の後、23:40に瀋陽桃仙空港のRWY24に着陸し、第3ターミナルの121番ゲートに23:45にスポットイン。定刻より早いじゃないか。スバラシイ。到着時の気温はマイナス5℃というアナウンスがありましたが、それほど寒くは感じませんでした。

 2012年10月以来2年ぶりの瀋陽、前夜は旧「ヤマトホテル」こと「遼寧賓館」に投宿し、明けて15日は雲一つない快晴!PM2.5などどこへやら。気持ちの良いお天気です!

イメージ 6 ▲右後方に見えているのが旧「満州医科大学」です。

 「遼寧賓館」の目の前は「中山広場」」というロータリー。その中央には毛沢東様が右手を高く掲げて立っておられます。
 しかしもちろんこの毛沢東像が建てられたのは新中国建国後のことでして、戦前は日露戦争の記念碑が建てられており、その円形のロータリーを、いわゆる「満州国」時代あるいはそれ以前に日本が建てた建物が取り囲んでいました。その建築物群が現在もほぼそのまま残っていますので、改めて一つ一つ紹介してまいりたいと思います。以下、「遼寧賓館」から反時計回り(左回り)でずらっと並べますね。

イメージ 3 ▲旧「奉天ヤマトホテル」。1910年の奉天駅竣工の際にステーションホテルとして南満州鉄道株式会社の運営で開業。その後1929年、この場所に新築して移転開業。その当時の建物のままです。現「遼寧賓館」。

 「遼寧賓館」の東隣には旧「満州医科大学」・現「中国医科大学(付属第一医院)」があるのですが、写真を撮り忘れました。1911年に南満州鉄道株式会社によって「南満医学堂」として設置され、1922年に設立され1924年に満州医科大学に昇格したものです。建物は前回僕が瀋陽にいた時期に建て替えられたような記憶があるけど……

イメージ 4 ▲満洲事変時には関東軍指令部が置かれた「東洋拓殖奉天支店」。1922年築。今は「盛京銀行」と「瀋陽市総工会」。

イメージ 5 ▲「朝鮮銀行奉天支店」。1931年築。1936年に「満州興業銀行」となる。現「華夏銀行」。

イメージ 7 ▲「奉天三井ビル」。中山広場では最も遅く建てられた建物で1937年築。その後「日滿空軍大樓」になる。最近まで「招商銀行」だったが、今は空きビルみたい。ちょっと朽ちかけてました(^^ゞ。

イメージ 8 ▲「奉天警務署」。関東庁土木課の設計により長谷川組が施工し1929年築。現「瀋陽市公安局」。外国人留学生は入学後ここに長期滞在のための居留証を取りに行くんですよね。

イメージ 9 ▲「横浜正金銀行奉天支店」。1925年築。現「中国工商銀行」。

 これでぐるりと中山広場を一回りしたことになります。中山広場の中央、毛沢東像のそばに立ってぐるりと見回すと、20世紀の初めの頃の瀋陽と日本のつながりが目に浮かんでくるようです。このような建物が今も残されているということそのものが貴重です。

 さあ、それでは毛沢東主席の指さす方向へ、中山路を歩いて行ってみることにします。

イメージ 1 ▲毛沢東主席の指さす方向には中山路がのびております。