毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

餃子が食べたくなったら瀋陽へ(その3)

イメージ 4 ▲開業100周年を迎えた赤レンガの東京駅より4年先輩の赤レンガの旧「奉天駅」こと「瀋陽駅」。

 2014年11月15日、毛主席の指さすほうへ。

 雲一つない快晴の瀋陽、中山広場の中央に立つ毛沢東さんも気持ち良さそうに右手を挙げています。

 右手の指す方向には中山路という道がのびており、その突き当たりには瀋陽駅があります。そして瀋陽駅を飛び越してそのはるか数百km先には、北京があります。そうです、瀋陽の毛沢東さんは、瀋陽駅はあっちですよと道案内をしているのではなく、新中国の首都・北京を指し示しているのです!

イメージ 1 ▲北京の方向を指し示す瀋陽中山広場の毛沢東像。

 では、瀋陽駅目指して、中山路を歩いて行きましょう。

 この中山路に面しても、日本時代の建物が数多く残っています。中でも目立つのは旧「奉天郵便局」。関東都督府の通信管理局と民政部土木課が設計し1915年竣工。中山路に面して長ーく続く赤れんがの建物で、今も瀋陽市郵政局として使われています。留学時代は、小包はこの郵便局止めとなり、届いた旨の通知だけが来るので、よくここへ小包を取りに来たものです。

 そういった数々の歴史建築を眺めながら突き当たりまで行くと、旧「奉天駅」こと、瀋陽駅であります。

イメージ 2 ▲本当はここへ列車で到着したいのだが。

イメージ 3 ▲真正面から。真後ろの丸屋根みたいなのは最近増築された部分かな。

 よく赤れんがの東京駅と奉天駅は似ていると言われますが、赤れんがの東京駅は、辰野金吾と葛西萬司の設計で、開業は1914年。今年は開業100周年で大いに盛り上がっていましたよね。

 一方、瀋陽駅は、1899年に東清鉄道南満州支線の謀志敦駅として開業し、1904年に奉天駅に改名。赤れんがの駅舎ができたのは1910年10月1日で、設計は太田毅。太田毅は辰野金吾の弟子で、建築様式も「辰野式」ですので、似ているわけです。しかし開業は奉天駅の方が4年早いのですね。

 瀋陽駅はここ数年、駅前の地下鉄工事や、駅舎や構内の増築・改修工事で、近寄りがたいような工事現場と化していましたが、今はそれも終わって、かつての姿を取り戻しました。瀋陽のゲートウエイとしての役割は瀋陽北駅の方に譲ってしまって、瀋陽駅を発着する列車の数はそれほど多くなくなりましたが、この赤れんがの駅舎は、いつ見ても歴史の重みを感じさせます。

イメージ 5 ▲東京駅と同じ「辰野式」のデザインの旧「奉天」駅、開業は1910年のこと。