瀋陽一泊二日(その2;旧奉天ヤマトホテル)
▲旧「奉天ヤマトホテル」のエレベーターホールはほとんど当時のまま。
2012年10月28日、満鉄の頃。
南満洲鉄道、いわゆる「満鉄」は、日露戦争後獲得した大連~長春間の鉄道線を経営するとともに、主要都市でのホテル経営も行い、満鉄で旅をする人々の行く先々での宿泊や各種サービスの提供、更には現地の社交の場として「ヤマトホテル」を開業していったわけです。
奉天にヤマトホテルが開業したのは奉天駅の開業日と同じ1910年(明治43年)10月1日。中山広場前に現存しているのは、1929年(昭和4年)5月10日に完成した客室数71室の新館で、アール・デコ調のデザイン、白色のタイル貼りの外壁という外装は今もそのまま残っています。
開業以来、内外各界の要人が宿泊しました。僕が今回停まったのは333号室で「将軍房」と呼ばれています。ドア脇にはある説明プレートによればこの部屋には「瀋陽軍区司令員・上将の鄧華が建国初期にたびたび宿泊した」のだそうです。
▲「将軍房」となっている333号室。
▲「将軍房」の中。内装は新しいですが、なんとなく当時の雰囲気が漂っている気も。
開業から102年、新館開業からでも83年が経つ旧「奉天ヤマトホテル」は、時代に合わせて何度か内装を施してきていますが、建物そのものは当時のままで、意匠も当時のまま保たれているので、エレベーターホールやらせん階段などは、おそらく開業当時からほとんど変わっていないのではないでしょうか。ふと階段で立ち止まると、自分が日本から鉄道連絡船を乗り継いではるばるユーラシア大陸を横断してヨーロッパまで行こうとして奉天に立ち寄った20世紀初頭の旅人であるかのような錯覚に陥りそうです。
▲3階のエレベーターホール。
▲黒光りする手すりが歴史を感じさせるらせん階段。
1階ロビーの壁には、ここに宿泊したことのある内外の要人の名前を刻んだパネルが掲げてあります。
真ん中あたりは「侵華日軍、関東軍、南満鉄道会社首脳、偽満洲国軍政要人及国民党高級将領」のリストになっていて、この頃が「奉天ヤマトホテル」として全盛を極めた頃ということになりましょう。秩父宮親王、本荘繁(関東軍司令官)、土肥原賢二(偽奉天市長)、松岡洋右(満鉄総裁)、愛新覚羅・溥儀(清朝末代皇帝)等々、よく聞く歴史上の人物がずらりと名を連ねています。当時のさまざまな思惑と欲望と謀略がこのホテルを舞台に渦巻いていたことが伝わってくるようです。
▲いわゆる満鉄時代の宿泊者には歴史上の人物がずらり。
黒光りする手すりが歴史を感じさせるらせん階段をゆっくりと下りて1階まで行くと、折しも1階奥のホールでは中国人の結婚式が催されている様子。反日感情を強める中国人と、中国人にとって日本軍国主義の象徴とも言える旧奉天ヤマトホテルで結婚式を挙げる中国人との間に大きなギャップを感じてしまうんですが、まあなんでもありということなのでしょうね。
1階ロビーの高い天井にはシャンデリアが吊され、上部が丸みを帯びた窓や回転ドア周りから淡い光がさしこみ、片隅にあるコーヒーラウンジに腰掛けてただそこにいたいという気持ちになります。瀋陽に来たらやっぱりここ「遼寧賓館」に泊まりたいものです。
▲高い天井に施された装飾、吊されたシャンデリア……当時のままの時間が流れる1階ロビー。