毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

北京ステーション

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818211556.jpg ▲1959年竣工、築50年となった北京駅。

 先週日曜日(8月22日)の散歩レポートのつづきです。北京駅へ行ってきました。

 1959年に中華人民共和国建国10周年を祝賀するにあたり、中国政府は1958年に「北京十大建築」を建設することを決めます。その中に「北京駅」が含まれていました。建設工事は、ソ連の技術者の指導を受けながら、1959年1月20日から始められました。竣工は1959年9月10日。6面12線のホームを持つ新北京駅は当時中国国内最大の規模を誇り、午前9時から午後7時まで、ちょうどの時間には鐘が鳴り、「東方紅」の曲がかかるということで北京名物になったとか(今も、ちょうどには鐘の音のテープが流れます)。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818211602.jpg 長安街を走るバスの窓から。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818211616.jpg なかなか風格ありますよね。

 現在の北京駅は、建物は1959年竣工のものがそのまま使われていますが、ホームは拡張されていて、櫛形の8面14線となり、ホーム長も開業当時の371mから542~590mに延長され、20両編成まで対応できるようになっています。

 建物正面に向かって左側に「出站口」があります。行き止まりの北京駅で降りた乗客はすべて、この出站口を通って駅舎の外に出てきます。ここしか出てくるところがないから、乗客と出迎えの人々でそりゃもう大混雑。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818211607.jpg 到着客がどどっと出てくる。 

 「出站口」には列車の到着状況を知らせる電光掲示板があります。列車の発着は今や北京南駅や北京西駅へ分散されたとは言え、北京駅に入ってくる列車は依然ひっきりなしです。ふといちばん上に表示されている列車に目をやると、始発駅は「平壌ピョンヤン)」となっています。そうです、この日は北朝鮮の首都平壌からの国際列車K28次列車が到着する日だったのです。しかし、朝08:31に到着する予定の国際列車は午後2時になってもまだ到着しておらず、「晩点未定(遅れ 到着時刻未定)」という表示が出ているのみ。そりゃあそのはず。国境になっている鴨緑江が鉄道橋のある丹東、新義州一帯で大氾濫を起こしていてたいへんなことになっているのです。「遅れ」というけど、そもそも走っているのかな?

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818211611.jpg平壌」の文字発見。

 駅舎で特徴的なのは、左右両翼に対照的に「角楼」が設けられていることと、一対の立派な時計台が設けられていることでしょうか。「角楼」は駅舎の左右両端に出っ張りのように設けられていて、屋上部分にはあずまやのような屋根がかけられています。これは周恩来のアイディアなのだそうです。時計台の時計面は大理石でできているそうです。

 正面中央上には「北京站」の文字がありますが、これは毛沢東が揮毫したもの。毛沢東は1959年9月15日の深夜00時10分から約2時間にわたって、竣工成った新北京駅を視察し、その視察が終わると一番列車が発車して行き、新北京駅の運用が開始されたのでした。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818211622.jpg 毛沢東の揮毫です。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818211627.jpg ▲鐘楼は実に風格たっぷり。時計面には大理石が使われているとか。