毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

北京城東南角楼(その1)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818211631.jpg北京市内に残る数少ない城壁が見られるスポット東南角楼。

 8月22日の北京駅周辺散歩レポートの続きです。

 北京駅の駅舎に向かって左側一帯の小路を入っていくと、まだ立ち退きを迫られていない昔ながらのぼろぼろの民家が並ぶ一帯があり、ここをのんびり歩いて抜けると、建国門南大街という大通りに出ます。この大通りを線路をくぐって南へ下ると右へ大きく曲がっていく通りがあり、これが崇文門東大街。この崇文門東大街と建国門南大街の角にあるのが「北京城東南角楼」です。

 ここまで大都市になってしまった北京ではその面影を探すのは容易なことではありませんが、北京もかつて明、清の時代は城壁に囲まれていました。環状線になっている今の地下鉄2号線の上にかつてあったのが内城の城壁です。地下鉄2号線には「門」の付く駅名が多いのですが、その駅の上にはかつて内城の城壁を出入りする門があったのです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818211637.jpg 内城の南辺に当たる城壁。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818211642.jpg 背も高くがっちりとした城壁。

 城壁は四角形ですから四つの角があるわけですが、その角にはそれぞれ角楼がありました。その角楼のうち唯一現存するのが東南の角楼です。残っているのはもちろん修復されたもので、角楼から続く城壁ももちろん修復されたものですが、なかなか立派です。城壁の下には街路樹が青々と茂り、芝生も植えられ、ベンチなどもあって、散歩するにはうってつけの場所に今は生まれ変わっています。

 東南角楼の下から城壁伝いに西へ歩いて行くと、門があります。ここから中へ入って、城壁の上や角楼を参観できるようになっています。入場料は大人10元(=約130円)。中に入っても、城壁の下に何か見るべきものがあるわけではありません。城壁の上へ上る階段があるので、そこからすぐに城壁の上へ上がることになります。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818211646.jpg ここから城壁の内側へ入れる。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818211653.jpg 城壁の上へ上る階段があります。

 「城」という字には「都市、町なか」という意味があります。杜甫の「春望」の有名な一節「国破れて山河あり 城春にして草木深し」の「城」も「まち」の意味です。日本で「城」というと、姫路城とか熊本城とか江戸城とかの城郭をイメージするので、「春望」の「城」も、前節に「国破れて」と戦(いくさ)に敗北したシーンがあることもあって、城郭がイメージされがちなのですが、本当は「戦いで滅んでしまった町には春が来て、草木が青々と茂っている」の意味なんですね。

 なぜかというと、「城」という字のもともとの意味は「城壁」「城壁で囲まれた範囲」のことで、中国では古来四方に城壁を築き、その中に人々をまとめて住まわせたことから、城壁の内側に「まち」が形成されたので、「城」という字が転じて「都市、まち」の意味を持つようになったのです。

 そんなわけで、中国の都市には三昔ぐらい前までは至る所に城壁が残っていました。しかし、城壁があると現代の都市開発に支障を来すので、近年次々に壊され、現在でも城壁がほぼ完全な形で残っているのは西安、平遥(山西省)、興城(遼寧省)など数少なくなりました。

 北京は明、清の首都ですから、もちろん立派な城壁が二重にありました。しかし、早い時期に撤去され、現在の北京市内で城壁の面影を見ることができる場所はほんのわずかです。その中でこの東南角楼の一帯は比較的よく城壁が残されているところなので、ぜひ訪れてみたいスポットです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818211657.jpg ▲城壁脇の青空の下、緑の芝生の上のベンチでのんびり読書でもして過ごしたい。