毎日ヶ原新聞

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2010春・新疆に行きたい心境(その8;タイル張りの墳墓)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818204929.jpgカシュガルではエイティガール寺院とならぶ見どころアパク・ホージャ墳。

 2010年3月8日、カシュガルの午後。

 ランチも終わった北京時間午後4時から、腹ごなしも兼ねてカシュガルの見どころを少し訪ねてみましょう。

 カシュガルの二大見どころと言えばエイティガール寺院とアパク・ホージャの墓ということになりましょう。エイティガール寺院は前日に行ったので、まずはアパク・ホージャの墓へ行ってみます。

 アパク・ホージャの墓を参るのは1991年の夏以来2回目です。もう19年も前のことになるんですね。それでも、ここは昔と少しも変わらず静かなたたずまいを見せています。冬の閑散期ですから静けさはなおさらです。

 ここは16世紀に後半からカシュガルの指導者として勢力を誇っていたホージャ一族の墓で、5代に及ぶ72人の陵墓となっています。清朝乾隆帝ウイグル人愛妃であった香妃がここに葬られたとの伝説から「香妃墓」とも呼ばれます。壁面をタイルで覆った美しいシェイプの外観、特に中央の円形屋根の描くカーブには見とれてしまいます。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818204933.jpg 正面から(少し傾いた)。

 建物の中に入ると、中央の円形ドーム部分までどーーんと吹き抜けになっていて内壁は白に塗られ、高い天井とドーム部分のカーブが気持ちいいです。そしてその下には、一族の主立った人々の墓が並んでいます。墓というより、棺に見えます。桃を切ったような尖った断面の形状は独特です。それぞれの墓には色とりどりの布がかけられ、大小もさまざまです。 この墓の敷地と壁一枚隔てた外側も広い墓地になっています。一つ一つの墓の形は同じですが、ここに並ぶ墓たちもホージャ一族なのでしょうか、それとも一般の墓地なのでしょうか。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818204944.jpg 建物内部に並ぶ墓。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818204939.jpg 敷地の外にも墓地が。

 アパク・ホージャの墓には、ホージャ一族が教義を説くために使った講堂や祈りのための寺院なども隣接しています。それまで仏教が信仰されていたカシュガルイスラム化したのは10世紀頃、カラハン王朝が成立した頃で、西域の中ではかなり早いほうであったようですが、17世紀になってホージャ一族がこのあたりの宗教と政治の実権を握るに及んで、この地方のイスラム教は隆盛を極めたのでしょう。今はがらんとしている礼拝所を眺めていると、礼拝ごとに大勢の人々が集まってきたさまが想像されます。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818204948.jpg 墓には寺院も隣接する。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818204955.jpg 今は閑散とする礼拝所。

 市の中心部に近い場所には、もう一つの見どころ、ユスプ・ハス・ハジプ(Yusup Has Hajip)の墓がありますので、こちらも見ておきましょう。

 ユスプは1019年生まれ、1085年没。11世紀カラハン朝のバラサグン(今のキルギスの首都ビシュケクの郊外)で生まれ、やがて首都カシュガルへ移り活躍したウイグル人思想家です。彼の墓も、丸いドームを持つタイル張りの立派なものです。紺色を基調にした細かい模様のタイルで、僕はアパク・ホージャの墓よりもこちらのほうが落ち着いていて気に入りました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818204924.jpg ユスプの墓の入口。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818204959.jpg ユスプの墓の正面。

 ユスプの最大の功績は「幸せのための知識(Kut Atghu Bilig)」という長大な叙事詩を書いたこと。これを当時のカラハン朝のハンに献上したことで、ユスプは「ハス・ハジプ(Has Hajip)」という尊称をもらいます。この建物の中には、ホージャの墓で見たのと同じような形の大きな墓が納められています。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818204919.jpg ユスプの墓。

 「幸せのための知識」は補篇を含めて全88章、13,290行から成る長大叙情詩で、当時の中央アジア、トルコなどの政治、経済、法律、倫理、哲学、天文学、数学、歴史、文化、宗教、社会生活などを研究するための貴重な史料なのだとか。叙情詩というか、格言集みたいな感じで、主なものが建物の内壁のタイルに記されています。アラビア文字とアルファベットで書かれてあり、アルファベットで書かれているのは古いウイグル語なのだとか。地元のウイグル人に意味がわかるかと尋ねてみたら、多少語彙の違いはあるがだいたいわかるとのことでした。彼の残したこれらの格言は、今もウイグル人たちの精神的支柱になっているのかもしれません。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818204913.jpg 学校の敷地内にある。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818204910.jpg ▲丸いドーム屋根にミナレット(尖塔)、そしてタイルのこの色合い、模様、なかなか気に入った。