毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

2010春・新疆に行きたい心境(その3;カシュガル古城)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818204627.jpg ▲狭い小路が入り組んで迷路のようになったカシュガル古城。両側の壁の中には人が住む。

 2010年3月7日、いにしえのカラハン王朝。

 エイティガール寺院から色満路に戻り、亜瓦格路を吐曼路へ向かって歩いて行くと、「カシュガル古城(漢字表記は「喀什噶尔老城」)」があります。ここは、小高い台地のようなところに土で塗り固めた箱のような住宅が折り重なるように密集している一角です。吐曼路に面した入り口には入場券売り場があり、ウイグル族のおねえさんが大人一枚30元の入場券を売ってくれます。一緒に入ってガイドもしてくれそうでしたが、とりあえず一人でぶらぶら歩きたいのでそれは断りました。ていうか、おねえさんたちは漢語があまり得意ではないので、あまりうまくコミュニケーションがとれません(T_T)。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818204645.jpg カシュガル古城の入口。

 階段を上ってミナレット(尖塔)を模した門をくぐり、小路の階段を上っていくと、古城の中に迷い込みます。文字通り「迷い込む」のです。

 古城の内側は細い小路が縦横に走っている上に、その小路の両脇は人の背より高い土壁がひたすら続きます。土壁にはところどころにウイグル風の装飾を施した扉があり、その一つ一つが一戸一戸の住居の入口になっているのです。その小路は妙な角度に何度も曲がりくねり、時には分岐し時には合流して、自分がどの方向から歩いてきたのか、どちらへ向かっていたのかが、わからなくなってしまうのです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818204631.jpg 家屋をくぐり抜けることも。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818204610.jpg 小路の奥の奥にまた扉。

 この古城は面積約2平方キロの中に2,094戸約1万人が居住していると言われ、その住人のすべてがウイグル族の人々。

 唐の時代には安西都護府の下、疏勒都督府が置かれていたカシュガルは、西暦850年に始まるカラハン王朝が10世紀には都を置き、この場所に宮殿建設しました。その後、皇室貴族の末裔たちが人口の増加に伴い宮殿跡の上に次々に住居を加えていき、今や土塗りの陋屋が迷路のように入り組むまさに「迷宮」となり、それが数百年にわたってほぼ完全な形で使われ続けながら今に至っているのだそうです。そこには中世期の遺風ともいうべきものが今も残り、ウイグル族の風俗習慣がそのままに息づいていると言えます。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818204615.jpg ミナレットのある家も。

 果てしがないと思われる小路を歩いていると、ぽかりとエアポケットに落ちたような広い空間に出くわすことがあります。モスクのある広場です。広場と言っても猫の額程度ですが、古城の中では広い空間です。そこには17世紀に建てられたというモスクがあり、ウイグル族の女の子たちがその広場でゴム跳びをして遊んでいました。お祈りの時間にはこの小路の隅々に礼拝の呼びかけ(アザーン)が響き渡るのでしょうか。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818204636.jpg 忽然と現れたモスク。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818204641.jpg モスク前で少女たちはゴム跳び。

 うろうろと迷ったか迷ってないかもわからないまま歩き続けていたら、人通りの多い通りにひょこっと出ました。あれ、どこかで見たことある通りだな…… あ、思い出した。この通りは、さっきエイティガール寺院へ行ったときに歩いた歩道に所狭しと露店が並んでいる通りではないか。ということは、カシュガル古城を東から突っ切って西側へ抜けたことになります。しかしこの西側の古城出入口には入場券売り場もないし、そもそもカシュガル古城だという看板さえない。こっちからなら無料で入れそうだけれど、古城だということに気づかないので素通りしてしまいそう。

 僕はそこから再び古城の中に迷い込み、もう一度迷路をくぐり抜けて、また元の出入口にたどり着きました。古城の狭い小路を歩いていると、自分が本当に10世紀頃の西域の異国に迷い込んだような錯覚に陥ります。すれ違うウイグルの人々の少し青みがかったような、あるいは薄茶色の透き通った瞳が行き過ぎると、その錯覚はなにやら確信のようなものに変わっていくのです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818204649.jpg ▲吐曼路に面して古城の台地の東面がむき出しに現れる。危なくないのかしら……