毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

【社説】まだ「北斗星」に青森駅から乗れた頃

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818185059.jpg ▲2006年3月4日00:04、「北斗星2号」青森駅3番線に入ってきました(ちょっと流し撮り(^_^ゝ)。

 22日から26日までまた出張で記事の更新ができませんので、今日は思い出話などをば。

 2006年3月3日、深夜、青森駅。もうすぐ日付が変わろうという頃です。到着列車は、八戸からの33M特急「つがる33号」が00:03に着けばそれがこの日の最後です。出発列車は、00:04に到着して00:11に発車する札幌からの2レ「北斗星2号」上野行きが最後。そのあと青森駅は翌朝05:35到着の急行「はまなす」まで旅客列車の扱いはありません。

 これは僕が中国瀋陽へ赴任する4日前のことです。赴任前の最後の帰省を終えて東京に戻るときに、この「北斗星2号」に乗りました。「北斗星2号」は青森駅で旅客扱いをする唯一の「北斗星」。「ゆうづる」や「はくつる」のない今、「あけぼの」では青森発が18:09で早すぎて晩飯も食っていられないけれど、00:11発の「北斗星2号」なら晩飯食って酒飲んで、ひと風呂浴びて、風呂上がりの一杯もやって、それから実家を出てきても余裕の夜行列車なので、帰省の時には重宝してきました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818185053.jpg この表示も今はむかし。

 それが、僕が日本を離れるのを待ってというわけではないでしょうが(笑)、2006年3月18日から青森駅での旅客扱いをやめてしまいました。青森駅構内の保安設備更新工事を理由に青森駅に入らず、青森信号所で機関車の付け替えを行うことになったからだそうです。青森駅からの利用が少ないからというのも理由の一つでしょう。列車そのものが廃止されたわけではありませんが、僕にとっては廃止に等しいさびしいできごとでした。

 この日「北斗星2号」を函館から牽引してきたのはED79-20。いささかくたびれた様子で青森駅3番線に入ってきたED79-20は、もう3月ですし雪の少ない冬だったので、車体にも雪はまとわりついていません。ドアが開くと編成の前後で機関車の付け替え作業が始まります。どの車両も静まりかえっていて、ほとんどの乗客が眠りについています。青森駅から乗り込む客もほんの数人。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818185104.jpg 青森まではED79-20が担当。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818185111.jpg 青森駅ホームではこれが見納め。

 B個室「ソロ」に乗り込んで間もなく、「北斗星2号」は青森駅を静かに発車しました。青森から上野までの牽引を担当するのは「星ガマ」EF81-94です。慣れ親しんだ「北斗星2号」に青森駅から乗るのもこれが最後。3月18日からは、青森駅では「カシオペア」が機関車付け替えの運転停車で入ってくる以外は見ることができなくなります。青森人にとってはまた一つだいじな夜行列車がなくなったのと同じで、寂しい思いを抱きながらぼんやりと車窓を眺め、列車が八戸駅を通過し、青い森鉄道のレールに入ったのを見届けて、ベッドにもぐりこみました。終点上野到着は翌朝09:41の予定です。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818185117.jpg ▲終点上野に到着した「北斗星2号」。牽引機EF81-94の鮮やかな赤色が寝ぼけ眼にまぶしい。


 追伸:ということで、出張のため22~26日まで更新をお休みさせていただきます。一瞬日本に帰るのですが、何かおもしろいものが見られるかな-?(^-^)