遼寧省の世界遺産(永陵)
▲遼寧省にある世界文化遺産の一つ、「永陵」。
中国には30を超える世界遺産がありますが、そのうちのいくつかは遼寧省にあります。北京故宮とともに登録された瀋陽故宮や清朝皇宮陵墓群、古代高句麗王国の首都と古墳群の一部、万里の長城の一部などです。
このうち、清朝皇宮陵墓群としては、瀋陽市内にある「昭陵(北陵)」と「福陵(東陵)」、そして撫順市郊外新賓県にある「永陵」の三カ所があります。今日は、去る9月に行ってきた「永陵」をご紹介したいと思います。
永陵の境内。
世界史の時間に習ったとおり、清朝は1616年に初代皇帝ヌルハチによって現在の撫順新賓にホトアラ城を築いて建立されました。当時はまだ「清」ではなく「後金」の都でした。後金は、1619年のサルフ戦役で明軍を撃破し、1621年の遼瀋戦役などを経て1625年に瀋陽へ遷都し、第二代ホンタイジのときの1636年に国名を「大清」に改め、歴史上に清朝が登場することになりました。
皇宮には必ずある九龍壁。
この「永陵」は、初代皇帝ヌルハチから四代前までの皇帝と皇后の陵墓です。もちろん、ヌルハチの前まではその時点では皇帝ではなかったわけですから、のちに追尊されたものです。建造開始は1598年で、当初は興京陵と称していましたが、その後1659年に永陵と改められます。
瀋陽から高速道路で撫順へ入り、ここから永陵まで永陵街道を走ります。そしてその幹線道路から数百メートル奥まったところに、永陵の正門がありました。遠目に見ると、永陵は後方に山の嶺々を背負っています。それが龍の寝ている姿のようであり、風水が良いということでここに陵墓を定めたのだそうです。その龍の背びれに当たる山の嶺は全部で12あり、したがって清朝は12の皇帝を輩出すると予言されたそうですが、実際そのとおりになり、清朝の皇帝は宣統帝溥儀の第12代まで続いたのでした。
瀋陽から高速道路で撫順へ入り、ここから永陵まで永陵街道を走ります。そしてその幹線道路から数百メートル奥まったところに、永陵の正門がありました。遠目に見ると、永陵は後方に山の嶺々を背負っています。それが龍の寝ている姿のようであり、風水が良いということでここに陵墓を定めたのだそうです。その龍の背びれに当たる山の嶺は全部で12あり、したがって清朝は12の皇帝を輩出すると予言されたそうですが、実際そのとおりになり、清朝の皇帝は宣統帝溥儀の第12代まで続いたのでした。
さて、正門を入ると、四座の碑亭が東西に並んでいます。永陵が四組の皇帝皇后の陵墓であることが示されています。それぞれの碑亭の中には、清朝創始者四代のそれぞれの功徳が満文、蒙文、漢文で記された功徳碑が納められており、その碑を「贔屓(ひき)」という動物が支えています。その向こうには本殿である啓運殿があり、その裏には、「神の木」とされる楡の木を囲むように、さほど大きくはない半円球の土饅頭が五つ並んでいます。
▲ヌルハチから四代前までの功徳を記した功徳碑を収めた碑亭が一列に並ぶ。
三言語で刻まれた功徳碑。
それを支える「贔屓(ひき)」。
本殿にあたる啓運殿。
その中に四組が祀られる。
神樹・ニレを囲む墳墓。
永陵には非常に珍しいものがあります。それは「座龍」と呼ばれる、まるで犬が座り立ちしているようなかっこうをしている龍のレリーフです。皇帝のシンボルは龍です。犬なんぞを皇宮陵墓の飾り物にするわけにはいきません。しかし、犬は満州族にとっては崇拝すべきものであり、特にヌルハチは犬に命を救われたことがあるため、とりわけ犬を崇めていました。そこから生まれたのが、龍と犬を合体させた「座龍」だというわけです。
永陵には非常に珍しいものがあります。それは「座龍」と呼ばれる、まるで犬が座り立ちしているようなかっこうをしている龍のレリーフです。皇帝のシンボルは龍です。犬なんぞを皇宮陵墓の飾り物にするわけにはいきません。しかし、犬は満州族にとっては崇拝すべきものであり、特にヌルハチは犬に命を救われたことがあるため、とりわけ犬を崇めていました。そこから生まれたのが、龍と犬を合体させた「座龍」だというわけです。
ヌルハチが後金を建てたホトアラ城址も永陵からほど近いところにあります。次はそちらへ行ってみることにしましょう。
▲非常に珍しい「座龍」が永陵の中には数多く彫られている。