またもどさまわり⑪(中央線快速)
【2009年8月21日の追記】
2年前のどさまわり記事のリバイバル掲載を続けています。
そうそう、このときは東京駅でちょっと時間があったので、201系が撤退しつつあると聞いていた僕は、中央線快速のホームに上がってみたのでした。
この記事にも書いてありますが、親戚が八王子に住んでいたこともあり、中央線の201系には小学生ぐらいのときからずっとお世話になってきました。大学に入って上京するまで、首都圏で乗った回数がいちばん多かったのは山手線でも京浜東北線でもなく中央線快速の201系だと思います。
この記事にも書いてありますが、親戚が八王子に住んでいたこともあり、中央線の201系には小学生ぐらいのときからずっとお世話になってきました。大学に入って上京するまで、首都圏で乗った回数がいちばん多かったのは山手線でも京浜東北線でもなく中央線快速の201系だと思います。
今はこの記事からさらに2年が経ったので、さらに置き換えが進んでしまったことでしょう。まだ201系は残っているのでしょうか。今度帰国したときに完全に姿を消していたらちょっと寂しいかも。
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▲中央線快速201系H16編成モハ200-253。
2007年8月29日(水)、再び東京駅。
明けて8月29日もまたこりゃ暑い。でも再び背広姿でやってきたのは東京駅。
自分が乗る列車の時間まではまだ時間があるので、おもむろに中央線ホームへ。201系のE233系への置き換えが始まっていると聞き、これはどうしても201系を写真に撮っておきたいと思っていたのですが、なかなか機会がなく、ようやくこの日こうして中央線ホームへやってくることができたというわけです。
なにしろ201系の登場は1979年なのだそうです。大学受験で上京した時にはもうこれだったもんなあ…… 親戚が八王子に住んでいて、やれ受験だやれ旅行だと言っては世話になっていたので、僕にとっての東京のまずいちばんのイメージは中央線快速201系なのです。
なにしろ201系の登場は1979年なのだそうです。大学受験で上京した時にはもうこれだったもんなあ…… 親戚が八王子に住んでいて、やれ受験だやれ旅行だと言っては世話になっていたので、僕にとっての東京のまずいちばんのイメージは中央線快速201系なのです。
青梅行き快速T108編成。
コレがこれから増殖していく。
山手線、京浜東北線、総武線緩行などが次々に短いインターバルで新車に置き換わっていく中で、中央線快速201系だけは頑として誰にも席を譲らなかった。きっと何かちゃんとした理由があるのだとは思いますが、周囲の仲間たちがステンレスのシルバーを輝かせながら行き来する中を、全身をオレンジバーミリオンで覆ったままでこんなにも長い間働き通した201系を、僕の東京での思い出と一緒にカメラに収めてやりたいな(なんちゃって)と思って、この日しばらく東京駅1・2番線で時間を費やしました。
▲神田方から高架へ駆け上ってくる201系は東京駅の比較的新しい風景。
東京に到着するH2編成。
もっとE233系の比率が高まっているかと心配していたのですが、まだまだ201系も頻繁に出入りしてくれます。学生時代の記憶ではクハには「中央特快」などを掲示する大型の表示幕はなかったような気がしますが、いつの頃からかいかにもあとから付けましたという表示幕が設置されました。「青梅特快」とか「通勤快速」とか列車種別があとから増えたからなのでしょうね。
H2編成は高尾行きで折り返し。
ホームに上がってまず2番線にいたのは青梅行き快速T108編成。次に2番線に入ってきたのは折り返し高尾行きになる快速T124編成。E233系の中央特快高尾行きが出たあと1番線には折り返し高尾行きになるH2編成が到着。最後は立川行きのH16編成の9号車モハ200-253の車内をのぞき込んで懐かしいライトブルーのロングシートを目に焼き付けて、中央線ホームをあとにしました。201系はいつまで残っているのでしょう。次に東京に立ち寄ったときにもまだ走っていてほしいし、そしたら今度はちゃんと乗りたいです。
学生時代を思い出すなあ……
▲201系と東京駅、この組み合わせはいつまで見られるのだろう。