毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

「出雲」に乗って初詣②(朝)

 2005年1月3日、朝。

 夜を徹して走り続けた寝台特急「出雲」。その安定した走りにすっかり安心して京都での機関車交換にも微塵も気づかず爆睡ができましたが、しかし翌朝は早めに起き出しました。やはり、餘部鉄橋を渡るときは起きていたいと思ったものですから。時間はまもなく7時、香住駅に滑り込むところでした。

 餘部鉄橋、一度だけ、下から見上げたことがあります。

 2003年の夏休みに青春18きっぷで旅をしていて、鳥取方面からやってきて浜坂で豊岡方面への列車に乗り換えようとしたところ、浜坂駅前の食堂で牛丼を食べていたら突然激しい雨が降り始め、規制雨量を超えたため抑止がかかってしまいました。雨は止むことを知らず、運転再開のめどがたちません。ようやく浜坂駅前から香住駅前まで代行バスが出ることになり、そこから先が動いているかどうかもわからぬまま、そのバスに乗って香住駅まで行きました。そのとき、初めて餘部鉄橋をくぐったのです。バスの中からだったのでそれほどよく見えたわけではないけれど、それでもその高さに驚いたものです。
 
 「出雲」は、そこは別になんにも特別な場所ではないんだよとでも言いたげないつもどおりの足取りで、餘部鉄橋を渡りきりました。その餘部鉄橋が、架け替えが決まってなんだか特別の場所になってしまったとき、もうそこには「出雲」の姿はありませんでした。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024323.jpg 餘部鉄橋から見る日本海

 山陰本線に入って少々ペースを落とした「出雲」は、正月三日ののどかな山陰の朝を、浜坂、鳥取、倉吉とこまめに停車しては少しずつ乗客を降ろしていきます。上段に乗っていた大学生も降り支度を始め、やがて09:25、「出雲」は米子に到着です。停車時間は22分。先頭から最後尾まで、ゆっくりじっくり「出雲」を眺め回すに十分な時間があります。この間に「出雲」は後ろ3両を切り離し、後続の1011M特急「やくも1号」に追い抜かれます。先頭は京都から先導してきたDD51-1187。どうせ急ぐ旅じゃねぇんだ、どうぞ好きに追い抜いていってくんねぇ、と老体をホームに預けて一休みしつつ「やくも」に道を譲る「出雲」はやっぱりかっこいい。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024327.jpg 米子に到着。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024331.jpg お急ぎの方は「やくも1号」へ。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024335.jpg DD51、そのどっしりとした構え。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024341.jpg 「やくも」も米子で乗務員交代。

 米子駅では、名物「吾左衛門寿し・鯖」を手に入れました(写真はナイ)。「出雲」も「やくも」もよいですが、米子でこれをはずすわけにはまいりません。1,774円と値段は張るけれど、その値段の高さも気にならなくなるほど、ウマイ。朝から吾左衛門寿し、なんというぜいたく。お正月だから、許す。

 少し遅れて「やくも1号」が米子駅に到着。最後尾は貫通型のクモハ381形。この色、このカタチ、東北生まれ東北育ちの僕にはあまりになじみがなさすぎて、ぎょっとしてしまいます。
 「やくも1号」を見送ったあとは、「出雲」もそろそろ出発準備。8号車が最後尾になってお客さんもだいたい降りて、すっかり身軽。終点まであと一時間とちょっと。どれ、そろそろ発車しましょうか。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024346.jpg そろそろ行こっかなー。