毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

都電荒川線

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 大学に入るのに上京してから去年(06年)の春に東京を離れるまで、東京には通算14年ほど住みましたが、その間、ずっと都電沿いに住んでいました。14年間、一度も都電から離れたことがありません。初めての東京での一人暮らしの場所が都電沿いだったのが、僕と都電との縁を切っても切れなくしてしまったのでしょう。

 初めて上京した時の住居は、築300年ぐらいかしらと思えるようなおんぼろの二階家で、一階に大家のおばあちゃんが住んでおり、二階の四間が一部屋ずつ間貸しになっていました。母が一緒に来てくれて、あれやこれやと買い物をしたりして一通り生活用具を揃えてくれました。その母を上野駅まで見送って、青森まで乗り換えがなくて楽だからと上越線回り青森行き昼行特急「鳥海」のグリーン車に乗せ、「鳥海」の赤いテールランプが上野駅のホームから見えなくなった瞬間、「あ、一人になったんだ」と突然寂しさがこみ上げてきました。

 その間借りのアパートの共同玄関の脇に、沈丁花の花が植わっていました。故郷青森では一度も見たことがなかったその花は、ちょうど入学式のシーズンに今を盛りに花を咲かせ、あの独特の香りを放っていました。だから今でも、沈丁花の花の香りを嗅ぐたびに、初めて上京した時のことや、上野駅で「鳥海」を見送った時のことなんかを思い出します。

 東京では、今年ももう沈丁花は咲いたでしょうか。

 間借りのアパートから徒歩1分余のところに、都電荒川線の電停がありました。
 授業のない日に自分の部屋で寝っ転がっていると、風向きのせいで強弱を変えながら、遮断機の音と都電が行き交う音がいつも聞こえていました。沈丁花の香りと同じように、都電の走り行く音も、僕の東京生活になくてはならない不可欠な一部になりました。あの時120円だった都電の料金は、今は160円。ずいぶんがんばっているほうではないでしょうか。

 今年(07年)2月、帰国する機会があったので、昔住んでいた界隈を訪ねてみました。
 今日の写真は、その時撮った写真です。「西ヶ原四丁目」電停にて。7000型のトップナンバー、7001号車が見えています。行き先方向表示が幕式からLED表示になったのはなんとも味気ないですが。