毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

「富士」に乗って大分旅行③(臼杵石仏)

 2004年12月18日、大分臼杵

 臼杵の話をするとかなり長くなるのです。

 でも、今日はそれはちょっと置いておいて、佐賀関で関サバを食べ、きれいな海も見た僕は、その後大分県臼杵市臼杵石仏を訪ねました。もちろん初めてです。

 臼杵の石仏(磨崖仏)は国宝です。古園石仏・山王山石仏・ホキ石仏第1群・ホキ石仏第2群の四群から成り、いずれも造顕年代ははっきりしていないけれども、美術史的見地からは、平安時代後期~鎌倉時代にかけて彫られたと考えられているとのこと。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818221454.jpg 堂ケ迫石仏群全景。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818221458.jpg ホキ石仏群全景。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818221503.jpg 山王山石仏。

 現在は上の写真のようにお堂のように屋根をかけて保護されていますが、山の岩肌などに仏像を彫る、あるいは壁画を描くなどというのは、中国三大石窟などと言われるように中国ではよくあるものだけれど、日本にも存在しているだなんて、僕は今までついぞ知りませんでした。敦煌莫高窟などは北魏の頃から造られ始めたといいますから、臼杵石仏はいくらか時代を後にしますが、険しくそそり立つ絶壁に向かい合った匠たちの仏教への思いには共通するものがあったでしょう。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818221507.jpg ホキ石仏第二群・阿弥陀如来坐像。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818221513.jpg 古園石仏・大日如来坐像。

 臼杵石仏は、上のような代表的な如来像をはじめとする多くの仏像が岩肌に刻まれ、長い年月を経た今も静かにそこにたたずんで、訪れる者を迎えてくれています。上の阿弥陀如来坐像の両脇には観音と製至と思われる脇侍菩薩立像が一体ずつ、下の大日如来坐像の両脇には六体ずつ仏、菩薩、天部、明王が刻み出されるなど、なかなか壮観です。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818221518.jpg 石仏前に広がる芝生の広場。

 石仏たちは小高い山の中腹に彫られていますが、そこから見下ろすと、かなり広い芝生の広場が見渡せます。ここでは、毎年8月最終週の土日に「臼杵火まつり」が開かれます。南国九州で、真夏に、火まつり。そう聞くだけで汗が噴き出しそうなこのお祭りのことはまた時を改めてご紹介しようと思います。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818221523.jpg バス停「臼杵石仏」。

 ここへは、JR臼杵駅やJR豊肥本線三重町駅、遠くは大分駅などからバスで来ることができます。
 ただ、臼杵と三重町を結ぶ臼三線からJR九州バスが撤退すると聞いています。これはその後どうなったのでしょうか。臼三線から撤退すると、臼杵駅臼杵大仏間の路線からもJRバスは撤退するのでしょうか。臼杵大仏を取り巻くバス事情が少し心配です。

 あ、それと、デジカメって、石仏に弱いですね。堂の中で薄暗いというのもあるのでしょうけれど、なかなか石仏たちにピントが合いません。全然うまく撮れませんでした(T_T)。