毎日ヶ原新聞

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なぜか佐世保駅に貧乏が去る像(Long Summer Vacation;その19)

イメージ 8▲佐世保駅の入り口には、本州最西端の駅の看板が。あくまでもJRの駅ではということですが。
 
 2018年7月9日、ぼんび~?
 
 特急「みどり・ハウステンボス13号」は、26分遅れで新鳥栖を出発しましたが、停電復旧後も鳥栖~肥前麓間は徐行運転が行われているということで、自転車並みののろのろ運転が続きます。
 
 新鳥栖から肥前麓までの1.3kmをようやく走りきり、肥前麓を通過するとようやく通常走行に戻り、天気は上々、薄い雲がたなびく青空を映す田んぼが広がる佐賀平野を快走します。ところで肥前麓駅、地名の由来がちょっと気になりますが、平野が多い鳥栖市は市の北西部だけが背振山地の一部になっていて、標高は847.5mの九千部山が肥前麓駅のすぐ北側まで迫っているので、「麓」という地名(旧三養基郡麓村)がついたんだろうなと想像されます。
 
イメージ 1▲新鳥栖の隣駅・肥前麓を最徐行で通過。このあと通常走行を回復しました。
 
イメージ 2▲気持ちの良い青空を長めながら佐賀平野を快走します。
 
 新鳥栖の次の停車駅・佐賀には14:46に到着。そのあとは、肥前山口、武雄温泉、有田、早岐と停まっていきます。
 
 新鳥栖から武雄温泉までの区間は、九州新幹線長崎ルートの問題で最近ますますホットになってきている区間。フリーゲージトレインで在来線直通に合意していたにも拘わらず、つい最近になって「フル規格」が持ち出され、これをとんだちゃぶ台返しだと感じた佐賀県知事が「新幹線の整備をこれまでも求めていないし、今も求めていない」ときっぱり言い切って、問題が暗礁に乗り上げかかっている状況です。個人的には、新幹線と引き替えに在来線をJRから切り離して地元負担で第三セクター化することには、東北新幹線盛岡以北のときから大反対の立場ですので、僕としては佐賀県を応援したいところ。 
 
イメージ 3▲約30分遅れで佐賀に到着。
 
イメージ 4▲佐賀の次は、長崎本線と佐世保線の分岐駅・肥前山口に停車。
 
イメージ 5▲佐世保線に入って最初の停車駅は武雄温泉。いずれ新幹線の駅もできるはず。
 
 佐世保線に入って最初の停車駅・武雄温泉を出ると、列車は山がちな地形の中を低地を探して縫うように走り、有田、早岐と停まっていきます。
 
 早岐は、大村線への分岐駅であり、ハウステンボスへのゲートウエイ・ステーション。ここで先頭1号車から4号車までの「ハウステンボス13号」4両は大村線へ入ってハウステンボスへ向かい、後方5号車から8号車までの「みどり13号」は、進行方向を変えて8号車を先頭に佐世保へ向かいます。博多から一緒に走ってきたのに、早岐ではそっぽを向いて喧嘩別れするかのように別々の方向へ走り去るのです。
 
 大村線へ入る列車はそのまま直進でき、佐世保へ向かう列車は進行方向を変えなければならないのには、歴史的な背景があるようです。鳥栖から長崎へ向かう鉄道線は、1891年(明治24年)に鳥栖~佐賀が開業するのを皮切りに、1898年(明治31年)までに鳥栖~佐賀~肥前山口~早岐~大村~長崎が九州鉄道長崎線として開業したのがもともとのルートなのだそうです。肥前山口から現在の肥前鹿島経由で長崎へ至るルートが開通するのは1934年(昭和9年)になってからで、それ以前は長崎へは早岐経由で向かっていたわけです。早岐~佐世保も1898年に開業しましたが、早岐から現在の大村線に入るのがメインルートだったわけですから、そちらへ直進できる構造になったのはやむを得ないことでしょう。 
 
イメージ 6▲結局、25分ほど遅れて終点佐世保に到着した特急「みどり13号」。
 
イメージ 7▲ホームには、折り返しの博多行き「みどり22号」を待つ乗客の列ができていました。
 
 早岐で「ハウステンボス13号」と別れて10分ほど走ると、終点佐世保に到着。約25分遅れて到着したので、折り返しになる15:44発の4022M特急「みどり22号」の発車時刻は既に過ぎており、ホームには「みどり22号」を待つ乗客の長い列ができていました。
 
 佐世保駅の入り口には、「日本最西端の駅」という看板がかかっています。しかし注意しなければならないのは、この看板のいちばん下に「JR」と記されているように、佐世保駅が最西端なのはJRの駅としてはということで、「日本最西端の鉄道駅」ということであれば松浦鉄道のたびら平戸口駅になるし(国鉄時代なら松浦線の平戸口駅ですね。)、「モノレールを含む最西端の駅」であれば沖縄のゆいレールの那覇空港駅ということになりますので。
 
 ところで、コンコースにボンビーがいるではないですか。なんで佐世保駅にボンビーが?
 
 これはどうも2004年に、佐世保観光コンベンション協会とハウステンボスの共同事業として携帯電話とICタグを使用したオリエンテーリング型ラリーイベント「桃太郎電鉄モバイルラリー ~佐世保・ハウステンボス編もあるばい~」が行われたのをきっかけに、ゲームソフト会社の「ハドソン」が寄贈したものらしいです。ベンチも兼ねたこの石像、後ろに「『貧乏が猿(去る)』という大変縁起の良い像です」と書いてあるけれど、むしろ邪悪なものが取り憑いてしまうんじゃ……
 
イメージ 9 ▲佐世保駅コンコースに鎮座する「貧乏が去る像」。この存在を今まで気づいていなかった。