毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

染物屋に待合旅館(2017年月イチ日本・夏休み編;その6)

イメージ 4 ▲明治31年創業「近藤染舗」から「開拓の村」の散策スタート。

 2017年8月13日、明治へトリップ。

 「開拓の村食堂」でおなかもいっぱいになったので、それでは明治開拓時代にタイムスリップして、「北海道開拓の村」の村内の散策にでかけましょう。

 「北海道開拓の村」は、明治から昭和初期にかけて建築された北海道各地の建造物を54.2haの敷地に移築復元・再現した野外博物館だそうです。村内は「市街地群」、「漁村群」、「農村群」、「山村群」の4エリアに分かれていて、出入口の「旧札幌停車場」を抜けてまず最初に入り込むのは「市街地群」です。入口広場に面して建っているのは、「近藤染舗」。

イメージ 3 ▲「御誂 染物」や右から左へ「電話二五五番」という文字など、歴史を感じるなあ。

 「近藤染舗」は、明治31年(1898年)創業の、旭川で最も古い染物店だったそうです。屋号は「やまがみ」といったんでしょうね。近藤家は、明治23年(1890年)に四国徳島から石狩郡新篠津村に入植し、明治31日に旭川へ移住して、徳島の阿波藍を使った藍染めの技術を受け継いで「近藤染舗」を開業。店の裏には、藍の入った壺を8つ備えた染め場があったそうです。現在「開拓の村」にあるこの建物は、店が繁盛したので、大正2年(1913年)に地元の建築業者によって新築された店舗兼住宅を移築したもので、当時の店舗建築の様子をよくわかります。看板の「御誂(おあつらえ) 染物」や右から左へ「電話二五五番」という文字が歴史を感じます。

 中に入って土間に立つと、畳敷きの部屋が続いていて、帳場などに人形が置かれ、畳の上には「奉納 五穀豊穣 大正拾年初秋 氏子中」と染め抜かれた大きな幟(のぼり)が広げてあったり、壁には屋号が染め抜かれた法被が掛けてあったり、ああ、明治大正の頃の染め物屋さんってこんなんだったんだなあって気分になりますね。

 なお、「近藤染舗」は、今も旭川で「株式会社 近藤染工場」となって染一筋で営業しており、2018年には創業120周年を迎えました。

イメージ 2 ▲染舗の中もリアルに再現。どこかの神社の秋祭りの幟が広げてあるのがいいね。

イメージ 1 ▲壁にかかる藍染めの法被、土間には屋号の入った大八車、明治大正、実際にこんなふうだったんでしょうね。

 「近藤染舗」の隣にあるのは、旧「来正旅館(くるまさりょかん)」。しかし、建物や看板に「来正旅館」の文字は見当たらず、大きく書いてあるのは「待合旅館」の文字。昔は待合旅館ていうのがあったんですねえ。「待合」と言えば、京都の「お茶屋」と同じで、東京では芸妓を呼んで飲食をさせる「待合茶屋」をいうこともありますが、こちらは純粋に鉄道の待合所を兼ねた旅館のことですね。

 というのも、「来正旅館」は、現在の旭川市内にあった東永山兵村に屯田兵として入植した来正策馬が、明治31年(1898年)に退役するや、その年に開業したばかりの北海道官設鉄道永山駅前に移り、まずは待合所を開業。大正7年(1918年)に大水の被害を受けたため、翌大正8年に旅館兼待合所を新築し営業を再開して、旅人の宿泊や汽車の待合などに利用されてにぎわったのだそうです。

イメージ 7 ▲待合旅館「来正旅館」。軒下とかで列車を待ってたんでしょうね。

イメージ 6 ▲こちらは側面。「旅館」という看板をかけた入口があるので、宿泊客はこちらを使っていたのかも。

イメージ 5 ▲妻面の「待合旅館」の周りに浮き彫りが施してあってステキ。大正モダンでしょうか。

 今回は、中に入ってゆっくり見学する時間はなかったのですが、1階の待合所や階上の客室などが、まるで今も待合旅館として絶賛営業中みたいに再現されてるみたいです。横溝正史の金田一耕助シリーズの映画に出てくる宿屋(「犬神家の一族」の「那須ホテル」とか、「悪魔の手毬唄」の「亀の湯」や「井筒屋」とか。)を彷彿とさせて、いい感じ。僕も泊まってみたい。

 ところで、この「来正旅館」の外観を眺めて見ますと、屋根の上に妙なものがついています。棒を組んで棟の上に台をつくり、そこに大きな木桶が置いてあります。棟の左右に一つずつ。

 これは防火用の水を入れた木桶なのだそうな。もちろん今は水は入れてないでしょうが、当時も実際に水を入れていたのではなく、防火に気をつかってますよということを見せるためのものだったのだとか。今で言えば、防犯カメラは実際は設置してないのに「防犯カメラ作動中」というステッカーは貼ってあるようなもんですかね。しかし、仮に実際に水を入れて万一の出火に備えていたとして、いざ火が出たときにどうやってあの高い位置にある木樽の中の水を一瞬にして周りに撒くことができたんだろう?何か特別な仕掛けでもあるのかな?

イメージ 8 ▲屋根の頂に防火用木桶が設置されているのがわかりますが、どうやって中の水を撒くの?