毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

明治の馬車鉄道に乗る。(2017年月イチ日本・夏休み編;その7)

イメージ 1 ▲「北海道開拓の村」内を運行する馬車鉄道の客車が馬の来るのを待ってます。

 2017年8月13日、明治の交通網。

 旧「来正旅館」は待合旅館であるからにして、待っていると、その前には馬車鉄道がやってきます。ここから馬車鉄道に乗って、「市街地群」、「漁村群」を抜け、「農村群」の中にある終点「ソーケシュオマベツ駅逓所」まで行けるのです。途中、停車駅はございません。

 車両は、1910年(明治43年)に開業した札幌市電の前身「札幌石材馬車鉄道」の車両を復元したもので、開拓の村の開業に合わせて、1983年(昭和58年)に新造された日本車輌社製ですが、焦茶色と黄土色をメインにレトロな外観になってます。18人乗りで、デッキ部に手ブレーキハンドル、車端部に馬との連結装置が設けてあります。

イメージ 2 ▲白馬に牽かれて出発進行。向こうから上り列車(?)もやってきましたよ。

 女性の車掌さんに運賃を支払って乗車し、待つことしばし、運転士さん(というか御者ですね)が白馬を牽いてやってきて、客車の前面に白馬を連結し、出発進行。まずは「市街地群」のまっすぐなポプラ並木(でしょうか?)が続くメインストリートを、両側に開拓当時の様々な建物が軒を並べているのを眺めながら、ぽっくりぽっくりと進んで行きます。これはなかなか快適で、楽しい!まさに開拓時代にタイムスリップしてるみたい。

 「漁村群」にさしかかったところで右にカーブし、「農村群」へと直進し、全長516mを約10分かけて走り、終点「ソーケシュオマベツ駅逓所」に到着であります。

イメージ 3 ▲終点に着くと車掌さんが行き先表示板をつけかえます。

イメージ 4 ▲「農村群」に入ったところが終点。

イメージ 5 ▲到着後は、お馬さんは切り離されて、道路脇の囲いに入って燃料(干し草)を補給。

 馬車鉄道の終点のかたわらに建っているのが旧「ソーケシュオマベツ駅逓所」を移設した建物。元は、「虻田郡真狩村壮渓珠オマベツ」、のちに移設され虻田郡喜茂別町双葉14番地にあったものです。

 明治から昭和初期まで、北海道辺地の交通補助機関として、宿泊・人馬継立・郵便・荷物搬送などの業務を行っていたのが「駅逓所」で、東海道、中山道などの「宿場」のような役割を担っていたのでしょう。北海道に置かれた駅逓所は517カ所というものもあり、ピーク時には道内に約六百数十カ所が置かれていたとするものもあるようです。

 「ソーケシュオマベツ駅逓所」は、1907年(明治40年)に設置され、喜茂別村の喜茂別駅逓と徳舜瞥村(のちの大滝村、今の伊達市大滝区)の三階滝駅逓所を結ぶ中間地点に置かれた官設駅逓所で、1909年(明治42年)から1934年(昭和9年)まで営業していたとのこと。その後、ほぼこのルートに沿って国鉄胆振線が敷設されますね。

イメージ 7 ▲旧「ソーケシュオマベツ駅逓所」。

イメージ 8 ▲駅逓所の軒先ではユリの花が咲いてました。きっと明治時代もこんな感じだったんだろうなー。

 「ソーケシュオマベツ」とカタカナ書きされていることからわかるとおり、アイヌ語由来の地名ですが、どうもこれは「ソーケシュ」と「オマベツ」に分かれるらしい。「ソーケシュ」の方は「滝のあるところ」という意味だそうで、「荘渓珠」という漢字もあてられているようです。「オマベツ」の方は、「川」を表す」「ベツ」が使われていますが、「オマベツ」がどういう意味かはわかりません。近くを尻別川の支流「ソーケシュオマベツ川」が流れていて、そこからついた名称ではないでしょうか。

 駅逓所の隣には厩舎も復原されています。駅逓所の隆盛期には官馬8頭を備え、旅人の送迎にあたっていたそうです。駅逓所の中は、大正末期の駅逓所の様子が再現されています。客室、取扱人室、使用人室があり、各部屋に配るランプを置いた燈室もあったそうです。正面玄関から入ってすぐの部屋の壁には、「継立駅逓里程表」が掛かっていて、1911年(明治44年)から取扱人となった元真狩村収入役の長家國太郎の名も見えます。「継立」とは「宿駅で人馬を替えて、貨客を送り継ぐこと」なので、「継立駅逓」とは、人馬を交替できる設備を持った駅逓所ということでしょう。ということは、人馬は備えず休憩や宿泊しかできない駅逓所もあったということでしょうかね?

イメージ 9 ▲駅逓所の正面を入ってすぐの部屋の壁に掛けられている「継立駅逓里程表」。

 この「里程表」によれば、「ソーケシュオマベツ駅逓所」の隣の駅逓所は「喜茂別駅逓所」で、その隣は「向洞爺駅逓所」。「喜茂別駅逓所」からの距離は6里で、明治時代の1里は3.927kmなので、6里は約23.6kmです。また、「喜茂別駅逓所」から向洞爺の方へ下るのではなく、西の真狩村へ向かうルートもあったようで(当時は喜茂別も真狩村内ですが。)、「喜茂別駅逓所」から真狩村方面への隣の駅逓所は「真狩別駅逓所」があり、距離は3里。その次は「倶知安村駅逓」で、なぜかここだけ距離がすんごく細かくて、6里18町38間。

 「ソーケシュオマベツ駅逓所」から南へ下るルートでは、次の駅逓所は「三階滝駅逓所」で、距離は3里30町。「三階滝駅逓所」から更に進めば次は「徳舜瞥駅逓」があり、距離は1里35町20間とこれまた妙に細かく出ています。

 「ソーケシュオマベツ駅逓所」は、駅逓所としては昭和9年に廃止となりましたが、その後もしばらくは旅館として営業を続けていたようです。昭和に入ってからもしばらく、旅人が骨を休められる場所としてにぎわっていたのでしょうね。

イメージ 6 ▲隣には厩舎も復原され、その前が馬車鉄道ののりばです。