毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

ヴィル門から(初欧州大陸はエストニア;その11)

イメージ 3 ▲タリン旧市街のメインゲート・ヴィル門。真っ青な空に朱色の瓦屋根が映えますね~。

 

 2017年7月10日、夕方6時の散策。

 

 いよいよタリンでの日々も終わりに近づき、最後の晩は同僚たちみんなでディナーに行こうということになり、旧市街にあるレストランに19時に集合と決まりました。それまであと1時間ほどあるので、おみやげを探しながら旧市街をぶらぶら歩いてみました。

 

 前回の記事で、かつて、タリンは全長4kmの城壁に囲まれ、46の見張り塔があり、そのうち城壁2.5kmと26の見張り塔は現存していると書きましたが、その城壁に囲まれていた時代のメインゲートだったのが、旧市街の南東にあるヴィル門(Viru värav)。南側にあるホテルからタンムサーレ公園やショッピングモール「Viru Keskus」を抜けて北側に出て、花屋がずらりと並ぶヴィル通りに入って西へ進むと、そこにあるのがヴィル門です。

 

イメージ 1 ▲ヴィル通りを歩いてヴィル門に到達。時間は午後6時で西向きになるので逆光です。

 

イメージ 2 ▲門の両側には円柱とんがり屋根の塔が今も残っています。
 
 タリンの城壁の建設を最初に命じたのは、1265年、デンマーク王クリストファ1世の妃、マルグレーテ・サンビリア(Margrethe Sambiria)によって。マルグレーテは、王の死後、息子である王子エーリク5世が10歳で即位したので、エーリク5世と一緒に戴冠し、1259年から1264年まで摂政を務めましたが、1266年から1282年までは、デンマーク・エストニア(Danish Estonia)の領主(the reigning fief-holder)でもあったんですね。最初に造られた城壁は高さ5m、厚さ1.5mほどだったそうですが、それを基礎に後世に増強され、数世紀後には8つの門を持つ城壁となったようです。

 

 ここにはもちろんかつては門扉があったわけですが、今は両脇の円柱とんがり屋根の塔と、そこから続く城壁が残っています。このヴィル門から中に入ると、いよいよ旧市街というわけです。

 

イメージ 4 ▲ヴィル門から入ってすぐ右、城壁の足下にニット製品の露店が並ぶ「セーターの壁」。

 

 ヴィル門を入ってヴィル通りを少し進み、角が「Gourmet Club」というレストランになっているところを右に曲がると、そこは「Müürivahe通り」。城壁が奥の方へとずぅっと続いていて、その城壁の足下には、ビニールの屋根をかけて棚を並べた露店がずらりと並んでいます。ここは「セーターの壁」の壁と呼ばれ、露店はすべて、セーターやマフラー、ミトン、帽子などのニット製品を扱うお店。エストニアの伝統的な模様が入ったものから現代的なデザインまで模様は様々で、お土産に最適なのだとか。ああ、立ち寄ればよかった_| ̄|○。

 

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     ▲こんな狭い小路も趣深し。

 

イメージ 6 ▲カラフルなライトカラーの壁に挟まれた小路はさながらタイムトンネルのよう。

 

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▲屋根の上に出っ張ってる部分は何なんでしょうね?

 

 ヴィル通りは旧市街の観光目抜き通りだけに、通りの両側にはレストランやバー、土産物店などがずらりと軒を連ねています。「セーターの壁」のあるMüürivahe通りからもう一つヴィル通りを進むと、角が「Karu Baar」という熊がジョッキを持ってる看板が出ているバー(karuはエストニア語で「熊」のこと。)になっている狭い小路があります。この小路はSauna通りといい、石畳の本当に狭い小道の両側には中世の石造りの家屋などの壁がそそり立ち、さながら何かのゲームのダンジョンに迷い込んだかのよう。小路に入ったとたん、ヴィル通りの喧噪は遠ざかり、人の気配も突然希薄になり、壁に手を触れながらのんびりと両側の建物を眺めながら歩くのも、タリン旧市街ならではの楽しみかもしれません。

 

 Sauna通りを抜けると、Väike-Karja通りに出て、すぐにSuur-Karja通りに合流します。道の両側にはまたレストランなどが並ぶようになり、正面には「旧市庁舎(Tallinna raekoda)」の尖塔が見えてきましたよ。

 

イメージ 8 ▲Suur-Karja通りに出ると、正面には旧市庁舎の尖塔が。