ツツジ咲く岡山城(旅するニッポン、春たけなわ;その54)
▲今や盛りの深緑の向こうに見える岡山城天守。
2016年5月3日、初岡山。
東京から乗った「のぞみ17号」は11:55に岡山に着き、12:08発の播州赤穂発福山行き普通列車5723Mに乗り換えて倉敷へ行きました。
4月1日から6月30日まで「晴れの国おかやまデスティネーションキャンペーン」が行われていて、JRの「岡山・倉敷ぐるりんパス」というおトクなきっぷがあって、しかもGWときてるもんだから、普通列車もぎっしり満員。あまりにも人が多くて、倉敷の写真は一枚も撮らなかったんです、ごめんちゃい。
そんなわけで、翌4日。前日午後遅くから降り出した雨が夜には激しい降りになったのとは打って変わって、翌4日は、風は強いものの、雲一つない快晴となり、汗ばむ陽気です。
▲気持ちよく晴れ渡った空と旭川。
前日は倉敷から岡山へ戻って岡山市内に泊まったので、この日は岡山城参観からスタート。僕は岡山駅周辺にしか出たことがないので、岡山城訪問ももちろん初めてです。
岡山城は、豊臣秀吉に厚遇された大大名・宇喜多秀家が、1597年(慶長2年)に築城したお城。旭川を天然の外堀に活用しているのが大きな特徴と言えましょう。
岡山城へは、南側の大手門から入るルートと、北の搦手門(からめてもん)である廊下門から入るルートとがあるそうですが、僕たちは北側から旭川沿いを歩いて岡山城へ向かったので、廊下門から入る形となりました。
▲北側から岡山城へアプローチすると最初はこの廊下門から入ることに。
▲廊下門は本来は裏口ですが、今では岡山城参観の出入口として大きく開かれています。
この門の上屋が本段御殿に住む藩主が中の段の表書院に降りる道筋に当たることから「廊下門」と名付けられたそうです。本丸の中は、天守のある上段(本段)、御書院のあった中段、いちばん下の下段の三段になっていて、本丸北側から下段から中段に上るための裏門に当たるのがこの廊下門です。1620年頃に建てられたものと言われています。
▲廊下門の手前で左前方に天守が見えています。
廊下門をくぐって中段に入り、天守を左手に見ながらまっすぐ進むと、中段から本段へ上がるためにくぐらねばならない門につきあたります。これは「不明門」。「あかずのもん」と読むそうな。本段には藩主が日常生活を営む御殿があるので、ごく限られた身分の人だけが入ることができ、閉ざされていることの方が多かったため、この名がついたとのこと。櫓門の造りはいかにもどっしりとしています。
▲往時は閉まっていることの方が多かった「不明門」。
「不明門」を抜けて本段へ上がり、天守へ向かって進むと、右側に礎石だけが並ぶ一角がありました。1945年、終戦の年の6月に戦災で天守が焼失したので、1966年になって元の位置に鉄筋コンクリートで再建される運びになった際、礎石だけをこの場所に移して、かつての天守の礎石のとおりに配置したのがこの場所だそうです。
七分咲きほどになったツツジのピンクと白の向こうに、どっしりと構える天守が近づいてきました。次は天守に登ってみます。
▲戦災で焼失する前の天守の礎石をここの移して配置しているそうです。
▲春、ツツジ、その奥に天守閣。