毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

岡山後楽園(旅するニッポン、春たけなわ;その56)

イメージ 2 ▲旭川越しに眺める烏城天守。ミゴトであります。

 2016年5月3日、風、強まる。

 岡山城の「廊下門」を抜けて、城址の北側の旭川の川端に出て、月見橋を旭川の北岸へ渡ります。橋の中ほどで振り返ると、水面をきらきらと輝かせる旭川の流れの奥に天守が見えて、なかなか絶景です。

 月見橋を渡った北側一帯は、「後楽園」。日本三大名園と言えば、水戸の「偕楽園」、金沢の「兼六園」、そして岡山の「後楽園」。前二者は行ったことがありますが、後楽園は今回ようやく訪れることができました。

イメージ 1 ▲やっと初めて訪ねることができた岡山後楽園。

 後楽園は、岡山藩主・池田綱政が岡山郡代官・津田永忠に命じて造らせたもので、14年の歳月をかけて1700年(元禄13年)に完成したとのこと。前回、岡山城天守の北から東にかけてに城郭がなく守りが弱いので、旭川の流れを変えて外濠にしたという話を書きましたが、更に守りを固めるためにその北側に後楽園を築いたという話もあるそうな。

イメージ 4 ▲日本三大名園の他の二園と大きく違うのはこの広さではないでしょうか。

イメージ 5 ▲鮮やかな緑の芝生が敷き詰められた穏やかな斜面はミゴト。

イメージ 3 ▲廉池軒(れんちけん)。築庭を命じた藩主池田綱政が最も好んで利用した亭舎。

 偕楽園は梅林、兼六園は「築山・林泉・廻遊式庭園」が特徴ですが、後楽園の敷地に入って最初の印象は「広い!」ということ。後楽園は133,000㎡、兼六園は100,740㎡で確かに後楽園が広いのですが、その数字以上にだだっ広く感じます。後楽園は、背の高い木々が植わっていない芝生敷きや池の空間が多くて遠くまで見渡せてしまうので、より広く感じるのでしょう。爽やかな青空と春の日差しに緑の芝生、青空を映す池、新緑の木々、庭園美に加えてこの自然の心地よさはたまりません。

イメージ 6 ▲手前は園内最大の池「沢の池」。奥の建物は中の島にある「島茶屋」。

イメージ 7 ▲「島茶屋」の西側、中の島へ渡る橋のたもとからの眺め。

イメージ 9 ▲こりゃまたミゴトな鯉が続々と集まってきてますよ。

 園内最大の池「沢の池」に沿って北へと歩き、ふと振り向くと、池の向こうの築山のさらに向こうに、烏城岡山城の天守がはっきりと見えるではありませんか。ここらへんもよく考えて造園されたのでしょうね。

 後楽園の北東、鬼門に当たる位置にある古い門構えは、「慈眼堂」。庭園全体から見るとちょっとはずれた位置にあり、ひっそりとしたたたずまい。1697年(元禄10年)、綱政が還暦を迎えた年に、厚く信仰していた観音像を二体を祀ったお堂で、その観音像は33年ごとにご開帳があったとか(今は空堂)。

 風が強くなってきました。正門近くで泳いでいる大きな鯉のぼりが強い風に激しくはためいています。正門から外へ出て、今度は岡山駅へ行きますよ。

イメージ 8 ▲池と築山越しに見える天守。よく考えられた構図。

イメージ 10 ▲鬼門の方角・北東にひっそりとたたずむ「慈眼堂」。