烏城-黒塗りの岡山城(旅するニッポン、春たけなわ;その55)
▲まさに「烏城」の名にふさわしい漆黒の天守、岡山城。
2016年5月3日、天守にのぼる。
「不明門」を抜けて本丸上段に入ると、いよいよ天守の全貌が目に入ってきます。
天守は、三層六階建ての望楼形天守閣。もともと14世紀には建てられていた「石山城」に、16世紀になって宇喜多直家が入城し、直家の子・秀家が、57万4,000石の大大名となったのにふさわしい城とするため、8年間にわたる大改修を施し、1597年に竣工したのが岡山城。近世城郭としての体裁が整えられました。この時代の特徴として、壁に黒漆塗りの下見板が取り付けられていて外観が黒いので、のちに「は「烏城(うじょう)」とも呼ばれるようになりました。
▲左下の白壁は「塩蔵」と呼ばれる天守とは別の櫓。
上の写真で左下に白壁の建物が見えています。天守は一つの建物ではなく、西側三分の一は別の櫓になっていて、その部分は「塩蔵」と呼ばれています。渡櫓なしで櫓が直接天守閣に付属する形式を「複合式天守」といい、他に犬山城、松江城、小田原城などがあるそうです。
さて、天守に登ってみましょう。
天守は、大入母屋造りの基部に高楼を重ねた三層六階建ての「望楼型」。地階から入って、いろいろな展示などを参観しながら、最上階の6階まで上ることができます。
▲東側はすぐ真下に旭川。旭川の向こうは後楽園。
▲しゃちほこ越しに岡山市内を一望。
最上階からは、360度で岡山市内を張望することができます。快晴の汗ばむ陽気の中、涼しい風も吹き込んで、爽快です。
東側の窓からは、ほぼ真下に旭川の流れが見えます。岡山城は、本丸を中心にして三段の城郭配置が西側だけに広がる配置となったことから、本丸の北から東にかけては城郭がなく、かなり無防備なので、旭川の流路を変えて天然の堀として東側の守りとしたとされているので、東側はもうすぐに旭川になっているだそうです。
岡山城では、築城時の「野面積(のづらづみ)」、江戸時代初頭の「打込ハギ(うちこみはぎ)」、その後の「切込ハギ(きりこみはぎ)」と時期の異なる三通りの石積みが見られるのもおもしろいですね。
▲「不明門」近くの石垣。これは「野面積」かな。
▲「不明門」を出て、今度は後楽園へと向かいます。