毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

タラコ色が行く。(紅葉まだき初秋のニッポン旅;その10)

イメージ 12 ▲幸福駅に到着した広尾行き普通列車823D、と言っても違和感ないですな。

 2015年9月22日、ここにしあわせアリ。

 国鉄広尾線下り、愛国駅を出発した列車は、大正駅、そして幸福駅に停車します。だから「愛の国から幸福へ」、記念入場券、記念きっぷの大ブームが起きたわけです。

 札内川の東岸に移った国道236号線を二駅ぶん南下すると、幸福駅址に到着。こちらは愛国駅址以上に観光スポットになっています。今も愛国駅址よりは長めに残してある線路の西側は、遊歩道を整備したお花畑のある公園のようになっています。北海道らしいまっすぐな並木も見え、雲一つない快晴の青空と深緑の木々、そして色とりどりの花々が一つのフレームに収まって、これぞ北海道という風景を作り出しています。

 その風景の中でひときわ目を惹くのは、タラコ色の気動車。幸福駅のホームに入って停車しているキハ22-221、キハ22-238の2両です。

イメージ 1 ▲まさに北海道に来ましたぜ!という感じの風景が広がってます。

イメージ 2 ▲こちらは南側に停まっているキハ22-238。

イメージ 3 ▲少しサビは出ているものの、塗装も新しげで、よく手入れされているようです。

イメージ 4 ▲本当に走っているように見えるなあ。

イメージ 5 ▲いかにも幸福駅ホームに停車中という感じ。

イメージ 6 ▲こちらは北側に停車中のキハ22-221。

イメージ 9 ▲キハ22-221の顔。

 キハ22と言えば、僕も小学生の頃に時々乗りました。もしかしたら中学校に入ってからもまだ走っていたかも。青森駅から出ている津軽線の列車がそうでした。朱色とクリーム色のツートンカラーだったのが、いつの間にか朱色(タラコ色)一色になってしまったのでした。そんな思い出のキハ22に出会えるなんて、なつかしい……このキハ22に乗って、広尾線を完乗してみたかったですね。今さら悔やんでも詮無いことですが。

イメージ 7 ▲廃止前は、こんなふうに列車が到着してたんでしょうね……

イメージ 8 ▲廃止直前は、1日6往復の列車が走っていたそうです。

イメージ 11 ▲もう3年早く生まれていれば、乗りに来られたかもしれないな……

 ホームには国鉄時代っぽい駅名標が建てられていますが、愛国駅の駅名標が国鉄時代に限りなく近い字体だったのに比べると、幸福駅の方は「ちょっとこれは違うでしょう」というデキ。「こうふく」というひらがなは国鉄時代のに少し近い感じもするけれど。

 駅舎は、廃止当時の駅舎の一部を活かして建て替えられているそうですが、その外壁にも内側にもきっぷやら名刺やらなんやらかんやらがびっしりと貼り付けられています。特に多いのは、近くの売店で売られている愛国から幸福までのきっぷの大判のレプリカ。やっぱりしあわせになりたい人、多いんですね……(^_^ゝ。

イメージ 10 ▲幸福駅ホームの駅名標。なんか違う!って感じの字体です。

イメージ 13 ▲駅舎のホーム側。今はホームから少し離れたところに建っています。

イメージ 16 ▲こちらは駅舎正面。完全に観光スポットですが、それで大勢の人が来てくれるのはウレシイ。

イメージ 15 ▲売店で売ってるきっぷのレプリカは大判なのでどうも貼り具合が悪い。

 大学生になってけっこう自由に一人旅やグループ旅行ができるようになって、北海道にも何回も旅行に来て、釧網本線の北浜駅とかへ行くと、駅舎の中にびっしりときっぷが貼られていたものです。あの頃、貼られていたもののほとんどは本物のきっぷ。それらを眺めていると、いろんな人がいろんな列車に乗っていろんな経路ではるばるやってきたんだなあということがしみじみ感じられたものです。それに比べて幸福駅の決定的な違いは、列車に乗って来た人が今や一人もいないということ。しかたない、列車が走っていないんだから。だからこうして売店で売っている言わばただの紙を貼るしかない。ここには、いろんな列車を乗り継いでここまでやってきましたという足跡のようなものがない。列車がなくなる、鉄道が廃線になるということは、こういうことなのか。観光スポットになってでも残してもらえているだけ幸福駅は幸福だとも言えるかもしれないけれど。

イメージ 14 ▲駅舎内の天井はこんなふうに幸福でいっぱい。