毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

JR大村線小串郷駅(念願かなってセイロンティーの旅;その44)

イメージ 6 ▲なんのへんてつもない小さな無人駅ですが、実は意外な歴史が。

 2017年4月29日、「ハウステンボス」カラー。

 ひさご塚古墳から10kmほど走って、JR大村線の小串郷駅にやってきました。いえ、別に立ち寄る予定なんかなかったんですが、国道205号線を走っているときにどうしてもトイレに行きたいと訴えた人がいたもんで(笑)。

 しかし、こんなことでもなければ立ち寄ることがない小駅を訪れることができたのはよかったです。

イメージ 3 ▲小串郷駅のホーム。大村、長崎方面を望む。

 小串郷駅は小さな無人駅。海側に駅前広場があり、駅舎を抜けると直接ホームに出られます。ホームは1面のみ。跨線橋がかかっているようにも見えますが、これは駅前と線路向こうを結ぶ一般の歩道橋で、ホームからは上り下りはできません。

 この駅のステキなところは、駅名標が国鉄時代そのままの白地に独特の書体の黒字で書かれていることです。駅舎のホーム側の壁にかけてある駅名標なんか、黒板にチョークで中学生が書いたような、ひらがなとローマ字だけの駅名標で、しかもローマ字の区切りが「OGUS」と「HIGO」で切れていて、「オグス・ヒゴ」なんてまるでラテン語みたいに読めるし。

イメージ 1 ▲国鉄時代からまったく変わっていないように感じさせる駅名標がたまらない。

イメージ 4 ▲駅舎にかかる駅名標は、まるで黒板に板書したみたい。

 大村線の早岐~大村~諫早~長崎が開通するのは1898年(明治31年)で、主な駅もこのとき開業していますが、小串郷駅が開業したのは、それから遅れること46年後の1944年(昭和19年)、終戦の前の年です。日に日に戦況が悪化する中、戦況挽回を画策する日本海軍は、横須賀の魚雷艇訓練所をここ小串に移転することを決定。魚雷艇訓練訓練所への臨時アクセス駅として開業したのが、この小串郷駅なのだそうです。訓練所はやがて特攻ボート「震洋」の訓練施設となり、震洋隊員の多くが小串郷駅を利用したそうです。

イメージ 2 ▲駅舎の隣にとてもよく手入れされた花畑があり、春の花が真っ盛り。

 悲惨な歴史の中でこの駅に降り立ち、二度と帰らぬ特攻隊員となって出撃していった青年たちはどれほどいたことでしょう。やがて戦争が終わり、当初目的を失った小串郷駅は1947年に廃止方針が打ち出されますが、地元民の強い存続の要望によって廃止を免れ、今に至っています。駅舎脇には東小串郷自治会のみなさんが一所懸命手入れしている花畑があり、この日は春の花が真っ盛りで、本当にきれいでした。

 そこへ、列車が近づく気配。大村・長崎方面から、青い車体の列車が近づいてきます。長崎10:00発の3228D快速「シーサイドライナー」佐世保行きです。小串郷駅には停車しないので、3228Dは速度をゆるめることもなくエンジン音を響かせて通過していきました。

 その後ろ姿を見送ると、おや?4両編成のうち後ろ2両の塗装が違う!今まで見たことのない白・黒・オレンジ色の塗装は、なんと「ハウステンボス」カラー!「HUIS TEN BOSCH」の文字もばっちりはいっています。これはキハ66・67系気動車の第12編成で、キハ66-12+キハ67-12の組み合わせ。2010年7月からこのカラーになって活躍しているそうです。いや~、貴重な駅と貴重な車両が見られてよかった。トイレに行きたいと訴えた人に感謝です(笑)。

イメージ 5 ▲走り抜ける快速「シーサイドライナー」の後ろ2両は「ハウステンボス」カラー。