毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

愛の国から幸福へ。(紅葉まだき初秋のニッポン旅;その9)

イメージ 14 ▲愛国駅に到着した広尾行き普通列車825レ、牽引車は19671号機、と言っても違和感ないかも。

 2015年9月22日、ここが愛の国。

 国鉄広尾線が廃止になったのは1987年のこと。結局一度も乗れず終いでした。

 線内の愛国駅~幸福駅間の切符が「愛の国から幸福へ」として大人気となり、縁起切符ブームの火付け役となったことはあまりにも有名です。そこで今回は、帯広空港へ向かう道すがら、今は観光スポットとなっている愛国駅址と幸福駅址に寄ってみようではありませんか。

 帯広市街地を北から南へ抜け、札内川の西岸に沿って国道236号線を南にまっすぐ走り、札内川を南帯橋で渡ると突き当たりが愛国駅。広尾線で言えば、帯広、依田、北愛国、愛国で、帯広から三駅めです。

イメージ 10 ▲列車に乗ってここまで来たかった愛国駅の駅舎。

 駅舎は廃止になったときのまま残されていて、愛国から幸福ゆき」の乗車券をモチーフにした石碑や、きっぷをかたどったプレート、駅名標などが設置されていて、乗ったことがある人懐かしがらせ、僕みたいに乗れずに終わった人を悔しがらせています(笑)。

イメージ 4 ▲昔はどこの駅の駅名標もこういう字体だったなあ。

イメージ 1 ▲乗車券をモチーフにした石碑。

イメージ 2 ▲この硬券きっぷを手に、広尾線の列車に乗ってみたかった。

イメージ 3 ▲駅舎横につくられた庭には駅名標なども。

 駅舎の中を通り抜けてホーム側へ出ると、構内は営業当時そのままの状態で保存されていて、周囲はけっこう広々としています。しかも、ホームには9600形蒸気機関車19671号機が入っているではありませんか!

 9600形蒸気機関車は、日本初の貨物列車牽引用の本格的テンダー式蒸気機関車で、「キューロク」などと呼ばれていたそうです。総製造数828両に及ぶロングセラー機関車でありました。19671号機は1918年(大正7年)の製造で、晩年は広尾線で活躍し、広尾線SLさよなら列車でも先頭に立ったのがこの蒸気機関車。今は愛国駅のホームに入って、手入れもゆきとどき、のんびりと余生を送っているのでした。

イメージ 5 ▲ホームは広く、余生を送る19671号機が静かにたたずむ。

イメージ 7 ▲手入れはゆきとどいていて、黒光り。家族連れがたくさん訪れていました。

イメージ 6 ▲今にもボーーーっと煙を噴き上げそう。

イメージ 8 ▲広い構内に下りて、側面からのショット。白線がくっきりと凛々しい。

イメージ 9 ▲広尾線を蒸気機関車が走っていたのは1975年まで(残っていたのは貨物列車ですが)。

イメージ 15 ▲あの日あの時撮った写真のように見えませんか?(^^)

 愛国駅周辺はよく整備され、駅舎そのものは、当時使用されていた閉塞器や通標、乗車券、駅スタンプ、写真パネルなどが保存、展示された「愛国交通記念館」になっていますし、駅構内は子ども用の遊具なども設置された公園として整備されていて、ここもまた家族連れでちょっと遊びにくるにはうってつけ。特にこの日はばつぐんの天気でしたので、家族連れがたくさん訪れ、SLに触れてみたり、公園で遊んだりしていました。特に、駅舎すぐ横の庭に立つ樹木はミゴト。てっぺんの方から少し黄色に色づき始めているこの木何の木気になる木。爽やかな青空に向かって枝を広げる様はまさに一幅の絵のようでありました。この木はきっと、広尾線を行き来する列車を何十年ものあいだ、ずっと見守ってくれていたのでしょうね。

イメージ 12 ▲愛国駅の駅舎脇の庭に立つ大樹がこれまたスバラシイ。

イメージ 13 ▲この大樹は、広尾線の列車を何十年も見守っていたのですね……

 ところで、駅前に、台車がはずされ、とんでもなくボロボロになった貨車ヨ4353を発見。これは、ヨ3500形車掌車で、貨物列車の最後尾に連結されて車掌さんが乗務していたわけですが、貨物列車に車掌車が付かなくなって久しい今となっては、なんだか超久しぶりに見かけた感じ。しかしこの荒廃ぶりは痛々しい。聞けば、以前はこの貨車を再利用して売店が営まれていたのだとか。うーん、残念、ずっと使い続けていてほしかった。

イメージ 11 ▲愛国駅前には、あまりにも痛々しいヨ4353。