毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

北朝鮮との国境地帯へ(どうしても冷麺が食べたくて;その6)

イメージ 4 ▲1926年に建てられ、旧在間島日本総領事館として使われていた建物が今もそのまま残る。

 2015年4月18日、図們江の向こうは北朝鮮。

 前夜、早くも今回の主目的の冷麺を食べてしまったので、この日は車を借り上げて朝6時半にホテルを出発し、北朝鮮との国境地帯を見て回ることに。

 延吉市内から、中朝の国境になっている図們江まで出ようとすると、途中で龍井市という街を通ることになります。延吉市内から30分ぐらいでしょうか。ここの龍井市人民政府に立ち寄ります。正門から見ると立派な庁舎が建っていますが、その裏手に、古い庁舎が残っています。

イメージ 3 ▲龍井市人民政府庁舎。正門から眺めたところ。

 古い庁舎の方は、1926年に建てられたもので、当時このあたりは「間島」と呼ばれていたことから、「間島日本総領事館」として使われていました。その地下は抗日分子の監獄として使われていたそうで、今は愛国主義教育基地「間島日本総領事館罪証展覧」の場所として開放されていますし、敷地内にあるかつて総領事公邸として使われていた建物も、抗戦勝利70周年を記念して、記念館のようなものに改装する予定だとのことでした。

イメージ 2 ▲かつて監獄だった地下室への入口。日本の悪行が展示されているらしい。

イメージ 1 ▲総領事公邸として使われていた建物。記念館として改修されたのかな。

 龍井市内から40分ほど走ると図們江岸に出て、対岸に北朝鮮の集落が見えるようになります。こちら中国側は龍井市の三合鎮に入り、三合鎮の朝東村付近まで図們江をさかのぼって、車を停めます。対岸に見えるのは、咸鏡北道会寧市の遊仙洞という集落です。

イメージ 5 ▲龍井市内から40分ほど走ると図們江岸に。ここは三合鎮三合村の入口。左の山は北朝鮮。

 遊仙洞の集落の背後には、低い山が連なっています。樹木はほとんどないようですね。

 集落の大きな二つのかたまりの中央に道路と涸れ川が突き抜けていて、その道路に人々が出ているのが見えます。どこかからトラックが一台やってきて道の真ん中に止まり、その周りには軍服姿の人たちが見えます。ほっかむり姿の女性、子ども姿も見えます。この日は天気もよく、春の陽気だったので、道に出ている人がずいぶん多いような印象です。

イメージ 6 ▲遊仙洞の集落。背後には樹木のない山が連なってます。

イメージ 7 ▲たくさん人が出ています。陽気につられたのでしょうか。

 ここから15分ほど北上すると、対岸には会寧市の中心部が見えてきます。いちおう人口10万人超の都市らしいのですが、中心部が図們江から離れているので、市街地めいたものはよく見えません。

 会寧市は金正日の母・金正淑(キム・ジョンスク)が生まれた街で、中心部にある「鰲山徳(オサンドク)」という小高い丘には金正淑の銅像と事績の碑があるそうですし、それに隣接して「金正淑同志革命事跡館」という博物館もあるらしいです。

イメージ 8 ▲会寧市中心部全景。と言っても、中心地はずっと奥の方っぽいですが。

イメージ 9 ▲中央の小高い丘が「鰲山徳」。金正淑の銅像などがあるらしいです。