毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

あと15km(中朝露国境の接する場所)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818215116.jpg ▲中露国境に立つ、ロシアが設置した国境標識。

 2011年11月29日、あと15km。

 さて今日ご紹介するのは、中国とロシアと北朝鮮の国境が一ヶ所で接している、延辺朝鮮族自治州の観光ポイント「防川」という場所です。ぜひお手持ちの世界地図かなんかを見ながら読んでいたければと思います。

 延辺自治州の州都延吉市から約100km東へ行くと琿春市の中心部に入り、そこから更に70kmほど南南東へ行くと、この防川にたどりつきます。このあたりは国家級の観光風景区になってるんですが、冬なので、ただ土地がだだっ広いだけで、ちっとも観光したい気持ちがわき起こりません。

 入場料は40元。ここまで乗って来た車で切符売場より先に乗り入れることはできず、専用の大型バスに乗り換えなければなりません。客は我々3人しかいないのですが、大型バスの運転手が「発車まであと10分待て!」と言って休憩小屋に姿を消してしまったので、寒い中でじっと待たされることに。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818215054.jpg この専用バスしか進めない。

 ようやく動いたバスに乗ること約5分。鉄索と金網に囲まれた道の行き止まりまでやってきました。

 何も知らなければ、ここはただの袋小路の行き止まり。しかし、よく見ると、左側の柵の外に、二つ標識が立っています。一つは古い石柱で「土字碑」と刻んであります。清朝政府から派遣された大臣呉大瀓とロシア側代表バラノフとの間で行われた国境画定交渉により1888年4月に立てられた中露国境初の国境標識です。中国(清)は図們江の河口まで領土を持っていましたが(つまり清朝はここで海とつながっていた)、1860年の北京条約で沿海州がロシアの領土になり、1888年に「土字碑」の場所に国境が画定されるに及んで、中国は海岸まであとわずか15kmのところで海を失うことになったのです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818215130.jpg 専用バスはここまで。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818215137.jpg この一角が中国の端っこ。

 「土字碑」の文字の右には小さく「光绪十二年四月立」と刻まれています。この碑のこっち側が中国で、あっち側がロシアで、碑のロシア側にはキリル文字「Т」が刻まれているのだとか。その隣には、ロシア側の標識も立ってます。こちらは新しく、とてもカラフル。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818215108.jpg 1888年建立「土字碑」。

 行き止まりの柵の向こうにみどり色の柵がずっと続いているのが見えます。この柵の左側はロシアです。右側はまだ中国ですが、自由に行けるのはこの突き当たりの部分までということです。
 右側が中国なのは、この緑色の柵の右側は図們江の河岸まで。川を渡れば北朝鮮です。

 ずぅっとのびている緑色の柵の向こうに鉄橋が見えています。これは図們江を跨いでロシアと北朝鮮を結ぶ鉄道橋で、つい最近鉄道の運行が始まり、今年8月に金正日将軍様がロシアを訪問あそばされた際にお乗りになった特別お召し列車はこの鉄橋を渡っていったのでございます。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818215120.jpg 左はロシア、右は中国。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818215125.jpg 中央奥に見えるのは露朝の鉄橋。

 それではこの行き止まりの部分からバスで少し戻って、高い位置から眺望できるところへ上がってみましょう。

 現在、観光用の新しい展望台が建設中で、かなりできあがってますが、まだ開放はされていません。新しい展望台(いかにも中国風)の向こうには凍結した図們江が横たわり、その向こう岸は北朝鮮です。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818215103.jpg ほぼ完成した新展望台。

 この展望台が完成して開放されるまでは、これまでどおり、国境警備施設の屋上の一部に上って周囲を眺望することができます。ここから見える風景が、下の写真です。

 写真が小さくてなかなか理解しにくいのですが、2枚下の写真で解説しますと、手前から奥へS字を描きながら柵が続き、中央に上が出っ張った白い建物が見えます。さっき最初に大型バスに乗って行った突き当たりというのがあの白い建物の部分です。つまりあそこまでが中国で、柵の左側はロシアで、中央の白い建物の向こう側も右側の川岸までロシア。右に見える川は図們江で、図們江より右側は北朝鮮です。

 写真いちばん奥にうっすらと地平線が見えていますが、これはおそらく中国側のこの白い建物からおよそ15km先の海岸線で、海岸線の向こうには日本海が広がっているのです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818215155.jpg 中露朝三カ国国境地帯。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818215143.jpg ▲だいたいどんな具合に三カ国が国境を接しているか、イメージできますか?

 以上のとおり、防川は「鶏鳴聞三国、犬吠驚三疆(ニワトリが鳴けば三カ国で聞こえ、犬が吠えれば三カ国がびっくりする)」と言われ、わずか15kmのところで海への出口を獲得できなかった屈辱とともに、中国側はここを観光地にして観光開発していこうとしているようですね。

 ところで鉄橋の両側を見てみましょう。こっち側、つまり図們江の北側はロシアで、鉄橋を渡ったとこにはハサン駅があります。ここからでは駅らしい形状がとらえられないのですが、ディーゼル機関車の警笛の音が時折風に乗って聞こえてきます。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818215059.jpg 建物のある辺りがハサン駅。

 川向こうは北朝鮮の羅先(ラソン)特別市で、鉄橋を渡ってすぐ右へカーブしたところに豆満江駅があります。二つ下の写真ですが、ちょっとこの写真は見えにくすぎますね。写真を拡大してよくよく見ると、客車2両と貨車数両の編成が停車しているのや、荷積み用のクレーンかブルドーザーのようなものが写っているのがわかります。しかしこの周辺に民家のようなものは見当たりません。

 北朝鮮の鉄道は標準軌、ロシアは広軌なので、かつては貨物列車などはこの豆満江駅で台車の交換をしたり貨物の積み替えをしていたそうですが、金正日将軍様ロシア訪問に先駆けて、羅津-豆満江-ハサン間が4線軌道化されたので、現在はこの区間なら台車交換などはいらないそうです。現在は豆満江-ハサン間を週2回旅客列車が往復しているとのこと。乗ってみたいですか?ダメダメ、北朝鮮には行っちゃだめなんだよ、渡航自粛勧告が出されてるから。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818215150.jpg ▲見づらいですが、豆満江駅と思われます。客車や貨車が泊まってるのが見えます。