毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

神岡鉱山ありし頃(遅い春、桜満開、帰省の旅;その6)

イメージ 5 ▲JR西日本とJR東海の境界駅・猪谷に到着。

 2014年4月21日、神通川に沿って。

 小雨降りしきる富山駅を定刻の8時ちょうどに発車した特急「ワイドビューひだ6号」は、神通川を渡ると北陸本線から分かれて大きく左にカーブして高山本線へ入っていきます。

 最初の停車駅は、郊外の住宅地、学校や工場も多く、平日の朝は始発終着列車も設定されている速星。そして「おわら風の盆」で有名な越中八尾では、猪谷発富山行き普通列車853Dを待たせて交換します。

イメージ 1 ▲国道41号線越中東街道、道の駅「細入」と猪谷駅の間あたり。満開の桜の木も見える。

 東八尾駅を通過すると神通川が近づいてきて、笹津駅を過ぎると車窓につかず離れず、神通川が寄り添うようになります。このあたりから列車は山に分け入っていくという感じです。

 笹津駅を過ぎて神通川を渡ると神通川第二ダムがあり、川幅が広がります。その川幅が再び狭まると楡原駅を通過。このあたりからトンネルも増えてきます。富山県の日本海沿岸平野部では桜はとっくに終わりましたが、こうして車窓を見ていると、ところどころで満開の桜の木を見かけます。標高がだいぶ上がってきているのでしょう。

イメージ 2 ▲キハ85形の前方展望。楡原駅に接近中。

 ところで、僕は今回、先頭車両8号車普通車指定席車に乗ったのですが、富山からの乗客は12、3人といったところ。それが驚いたことに、半分以上、三分の二ぐらいでしょうか、外国人旅行客だったのです。欧米系の人もアジア系の人もいます。4月16日に立山黒部アルペンルート「雪の大谷」が開通したばかりですし、世界遺産の合掌造り集落などもあり、富山高山エリアは外国人観光客にも人気なのでしょう。しかし、これだけ外国人客が乗っているにしては、車内放送はオソマツ!JRさん、もうちょっと国際化しましょうよ!

イメージ 3 ▲「神岡鉱業」の看板が残る社宅に今も住む人はいるのでしょうか。

 速度が徐々に落ち、08:40に猪谷駅到着。JR西日本とJR東海の境界駅なので、乗務員が交替します。

 到着直前に広い駅構内越しに左側に見えるのが神岡鉱業株式会社の社宅。神岡町(現飛騨市)にあった亜鉛・鉛・銀が採れる神岡鉱山が栄えていた頃、猪谷には神岡から国鉄神岡線、のちの神岡鉄道神岡線が乗り入れ、神岡鉱山から亜鉛鉱石や硫酸の搬出が行われていたので、猪谷にも鉱山を経営していた神岡鉱業株式会社関連の施設があるのでしょう。しかしこの社宅、「神岡鉱山が閉山となった為、ほとんどが空き家となっている。」と記述しているサイトもありましたが、今回見た限りでは「ほとんど」どころか、入居者はまったくいないような感じでした。

イメージ 4 ▲富山へ折り返すのを待っているのかキハ120の300番台。

 猪谷駅のホームにゆっくり滑り込むと、反対側のホームにはキハ120の300番台の2両編成が停車中。08:20に到着した富山からの848Dだと思われます。09:06発の富山行き855Dとなって折り返すのでしょう。

 ホームは、富山行き855Dが停まっている方が1番線、「ひだ6号」が到着した方が2番線で、駅舎とは構内踏切で結ばれています。ホームから構内踏切への降り口の反対側に、切り欠き式のホーム、3番線が、かつてはあり、そこが神岡鉄道の発着ホームになっていました。国鉄神岡線時代は乗ったことがなく、神岡鉄道時代に一度だけ奥飛騨温泉口駅から乗ったことがあるきりで、その後は機会のないまま廃止になってしまいました。かつては亜鉛や硫酸を積んだ貨車の入替などでにぎわった駅構内は、今は引き剥がされた側線の痕に残るだだっ広い空き地が目立ち、時代の流れを感じずにはいられません。

イメージ 7 ▲猪谷駅到着。右の黄色い手すりが駅舎へ向かう構内踏切への下り口。

イメージ 6 ▲構内踏切の向こうの木造駅舎。無人駅です。