毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

太宰治生誕100周年記念トリップ(その16;津軽中里駅ふたたび)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818225118.jpg ▲大胆な書体ですねえ、津軽中里駅駅名標

 2009年9月3日、津軽五所川原行き。

 津軽中里駅前で僕を降ろした弘南バスは、金木、五所川原方面に向けて走り去りました。津軽中里駅前の閑散ぶり、寂れぶりは昼前にやってきたときと変わりません。

 次の列車は16:38発の津軽五所川原行き16列車。15:53に到着した11レが折り返しの準備を整えてホームで休んでいます。発車まであと20分ほど時間があるので、窓口で切符を買い求めたあと早々とホームに上がり、しばし構内を観察してみましょう。

 まず目に付くのは大胆な毛筆書体の駅名標芦野公園駅も同じ書体でしたが、どなたが書いてらっしゃるんでしょう。隣駅・深郷田の「ふこうだ」なんてぱっと見た感じなんと書いてあるかわからない。「津軽中里」の右下がり末広がりの筆の走りなんかも妙です。

 この駅名標の隣には、ストーブ列車の写真とともに「日本最北の私鉄津軽鉄道」「最北の駅津軽中里駅」と書かれたもう一つの駅名標があります。なるほど、本州最北の私鉄だった下北交通大畑線が廃止となり、北海道唯一の私鉄転換路線の北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線も廃止になって、今や日本でいちばん北にある民鉄は津軽鉄道なのでした。旧国鉄から転換した路線は次々と倒れ、昭和3年から一貫して民鉄でがんばっている路線が生き残る。世の中、こんなものなんですね~。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818225128.jpg 日本最北の私鉄であった。

 ホームは1面1線で、ストーブ列車など客車列車の際の機関車の機回し用に側線も1線あります。その2線の鉄路は、ホームからもう数十メートル行った先で、民家の建ち並ぶ山肌にぶつかって途切れています。中里から先へ延伸する計画があったのかなかったのか、津軽鉄道の終端は草に埋もれるようにそこで終わっています。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818225144.jpg 津軽鉄道の終端はあっち。

 16:38発の16レもいつもどおりの「走れメロス号」の津軽21形21-104号機。津軽21形は5両配備されているとのことですので、104号機は新しいほうになるでしょう。
 車内にぱらりと乗客がちらばって、そろそろ出発です。終点津軽五所川原までの所要時間は37分、初めての通しでの完乗になります。ボックスシートを占有して席を占め、終点津軽五所川原を目指します。途中居眠りしないようにしなくっちゃ。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818225133.jpg 津軽21型21-104。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818225138.jpg津軽中里から津軽五所川原までの20.7km、これから発車。