太宰治生誕100周年記念トリップ(その12;津軽中里駅)
▲今はつぶれたスーパーが併設されていた津軽中里駅の駅舎。
2009年9月3日、津軽中里駅。
津軽中里駅は有人駅。小さな改札口の脇に窓口があり、切符や定期券だけでなく、津軽鉄道グッズの販売も行っているようです。「津軽鉄道サポーターズ・クラブ」の入会受付なんかもやってます。レンタサイクルなんかも置いてあるようですね。駅舎の中には小さいながらも待合室があり、11:49発の12レを待つ人たちが思い思いに過ごしています。
津軽中里に到着した7レ。
津軽中里駅の小さな改札。
さて、次に僕が乗るのは五所川原からやってくる12:05発の小泊行き弘南バス。まだ1時間弱時間があるので、この間に昼を食べてしまいたいところ。
ところが、津軽中里駅には旧・生協中里店、その後の「スーパーストア・ジュニア中里駅店」が併設されていたようですが、それは今はすでにつぶれて、駅舎全体の寂寥感を四倍増ぐらいにさせています。小さな駅前広場には酒屋や食堂とおぼしき看板を出した店が1、2軒目に付きますが、いずれも営業していないかつぶれたかのどちらか。奥津軽の小さな町の寂れぶりを否応なしに見せつけてくれます。
しかたなく駅前を離れ、駅前の通りを右へ折れて歩いてみます。右へ折れてすぐにあるのは、2005年に中里町と小泊村が合併してできた中泊町の役場があり、それを通り過ぎてまっすぐ歩いてはみるものの、ぽつりぽつりと、銀行やパチンコ屋なんかが道の両脇にありますが、食事ができそうなところはどうもなさそうです。しばらく歩いてようやく、やはり寂れた風情のスーパーを見つけ、そこでパンを買い求めて駅へ戻り、駅の待合室で自販機の缶コーヒーとともに菓子パンのランチとなりました。この寂れ具合、日本の地方の疲弊ぶりと過疎ぶりが身にしみます。いや、住民はきっと自家用車で五所川原あたりの郊外型大規模ショッピングセンターに出かけているからそんなに不自由はしていないのでしょう。しかしそれにしても、地方の崩壊は嘆かわしい。このままではニッポンは東京を残して全部滅亡するかもしれん。
駅前、寂れきってます。
と憤ったところでどうにもなりません。バスがやってきました。12:05発の小泊行き弘南バスです。
五所川原と小泊を結ぶ弘南バスの路線バスには2路線あり、木造、車力、十三経由のものが1日9往復ありますが、このうち小泊まで行くのは3往復しかなく、あとは十三湖の中の島公園入口までしか行きません。もう1路線は金木、中里経由のもので、1日6往復あります。これだけ公共交通機関では行きにくいところだけに、津軽中里駅前にやってきたバスの車内には、概ね席が埋まるぐらいの乗客が乗っていました。交通弱者と呼ばれる人たちを中心に、やはり路線バスの存在は貴重なものなのです。
さて、僕もこれに乗って小泊を目指します。太宰は小説「津軽」で、中里駅前から乗ったバスについて、「バスは、かなり込んでゐた。私は小泊まで約二時間、立つたままであつた。」と書いています。さすがに今は2時間もかかりませんが、太宰の乗ったバス路線をたどりながら、僕も小泊へ行こうと思うのです。
小泊行きのバスは盛況。
▲津軽中里駅に到着した小泊行き弘南バス。行き先表示幕には中里経由が明示されてます。