毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

太宰治生誕100周年記念トリップ(その13;太宰、タケと再会す)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818224930.jpg ▲「いま私のわきにきちんと坐つてゐるたけは、私の幼い頃の思ひ出のたけと、少しも変つてゐない。」

 

 2009年9月3日、小説「津軽」の像。

 

 太宰の頃には2時間かかっていたという中里から小泊までのバスは、今の所要時間は1時間10分ほどになっていて、僕が津軽中里駅前から乗った弘南バスも、13:15に小泊に到着しました。

 

 バスは小泊の集落に入ってから複雑に曲がりながらバス停を過ぎて行き、どこで降りればいいのかわからないので、とりあえず終点のバスだまりまで行きました。それから適当に歩き始めると、やがて観光客向けの標識も目に付くようになり、とうとう、小泊小学校に隣り合わせる「小説『津軽』の像記念館」にたどり着くことができました。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818224954.jpg 記念館へのアプローチ。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818224950.jpg 記念館正面入口。

 

 「小説『津軽』の像記念館」。2006年に開館したこの記念館は、小説「津軽」で最も太宰が書きたくて書いた部分だろうと僕が信じて疑わないラストシーン、太宰が30年ぶりに乳母の越野タケと再会するシーンを中心に展示を集めていて、タケが小泊の地で亡くなるまでをも含めて、どっぷりと小説「津軽」のラストシーンに浸ることができます(入館料大人300円)。

 

 小説「津軽」では、太宰がタケと再会するのは、運動会が開かれていた小泊小学校の運動場でのことでした。こんなふうに書かれています:
 
 
 また畦道をとほり、砂丘に出て、学校の裏へまはり、運動場のまんなかを横切つて、それから少女は小走りになり、一つの掛小屋へはひり、すぐそれと入違ひに、たけが出て来た。たけは、うつろな眼をして私を見た。
「修治だ。」私は笑つて帽子をとつた。
「あらあ。」それだけだつた。笑ひもしない。


 その小泊小学校の運動場を見下ろす位置に、この記念館はオープンしました。館内には、小説「津軽」で太宰がたどった行程や、「タケと太宰の出会いと生涯」と題する解説や、小泊に戻ってからのタケと親交が深かった人々や家族親戚の言葉などが並んでいます。生前のタケを取材しドキュメンタリーにまとめた映像も上映してくれます。僕はなにやら感動してぽろぽろ涙が出てきてしまいました。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818224910.jpg パネルで「津軽」をたどる。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818224917.jpg 太宰の「津軽地図」を基に。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818224922.jpg タケと太宰の出会いと生涯。

 

 記念館から続く、周囲より少々小高くなった庭は「再会公園」とも呼ばれ、太宰とタケが再会したシーンを再現した銅像が建てられています。この銅像は、小説「津軽」の次のシーンをそのまま再現したものと言えます。そのすぐ隣にはそのシーンを抜粋した文学碑もあります。

 

 「ここさお坐りになりせえ。」とたけの傍に坐らせ、たけはそれきり何も言はず、きちんと正座してそのモンペの丸い膝にちやんと両手を置き、子供たちの走るのを熱心に見てゐる。けれども、私には何の不満もない。まるで、もう、安心してしまつてゐる。足を投げ出して、ぼんやり運動会を見て、胸中に、一つも思ふ事が無かつた。もう、何がどうなつてもいいんだ、といふやうな全く無憂無風の情態である。平和とは、こんな気持の事を言ふのであらうか。もし、さうなら、私はこの時、生れてはじめて心の平和を体験したと言つてもよい。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818224935.jpg 小説「津軽」文学碑。

 

 太宰と再会したタケは終始無言です。しばらくして運動会の掛小屋を出て、龍神様の森へ行ってから、タケは堰を切ったように喋り始めます。ほとばしるように出てくるその言葉に、会いたくて会えないまま30年という時が過ぎ、それでも太宰を我が子のように愛し慈しんでいたタケの真心があふれていて、涙せずにはいられません。

 

「久し振りだなあ。はじめは、わからなかつた。金木の津島と、うちの子供は言つたが、まさかと思つた。まさか、来てくれるとは思はなかつた。小屋から出てお前の顔を見ても、わからなかつた。修治だ、と言はれて、あれ、と思つたら、それから、口がきけなくなつた。運動会も何も見えなくなつた。三十年ちかく、たけはお前に逢ひたくて、逢へるかな、逢へないかな、とそればかり考へて暮してゐたのを、こんなにちやんと大人になつて、たけを見たくて、はるばると小泊までたづねて来てくれたかと思ふと、ありがたいのだか、うれしいのだか、かなしいのだか、そんな事は、どうでもいいぢや、まあ、よく来たなあ、(中略)手かずもかかつたが、愛ごくてなう、それがこんなにおとなになつて、みな夢のやうだ。金木へも、たまに行つたが、金木のまちを歩きながら、もしやお前がその辺に遊んでゐないかと、お前と同じ年頃の男の子供をひとりひとり見て歩いたものだ。よく来たなあ。」と一語、一語、言ふたびごとに、手にしてゐる桜の小枝の花を夢中で、むしり取つては捨て、むしり取つては捨ててゐる。

 

 タケの愛した太宰、太宰の愛したタケ、そして小泊。太宰とタケが再会を果たした小学校の校庭が、この再会公園、太宰とタケの銅像の場所からすぐそばに望むことができます。「やい修治、タケに会えてよかったなあ」、太宰とタケの像に僕はそう声をかけて、再会公園をあとにしました。やあ、小泊、なかなかいいところじゃないか。

 

 さて、小説「津軽」じゃないけれど、さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行かう。絶望するな。では、失敬。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818224942.jpg ▲再会の銅像。左側に小学校があり、正面はるか奥には海も見える。