毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

「越中の小京都」城端(Long Summer Vacation;その30)

f:id:mainichigaharu:20191002224854j:plain▲この色合いと字体が国鉄時代。本物のホーローびきかしら。

 

 2018年7月14日、花咲き誇る。

 

 駅舎の中から改札を通ると、1番線ホームに直結します。駅舎の幅のぶん、屋根がホームの上に張り出していて、白く塗られた柱や梁がまたいい雰囲気です。その梁からツルされている駅名標がこれまたタマラナイ。さっき福光駅でも見かけた、紺色地に懐かしい書体の白字が描かれた国鉄時代によくあったホーローびきふうの駅名標。本物のホーローびきかどうかまではよくわからなかったけれど、角が欠けて下地の鉄板が錆びているのが見えるから、ホーローびきかも。

 

 張り出し屋根のある部分から先のホーム上には花壇がしつらえられていて、ペチュニアでしょうか、色鮮やかに、ちょっと変わった模様のものも含め、今を盛りに咲き誇っています。駅の窓口業務も簡易委託駅として併設されている南砺市観光協会が受託しているとのことなので、こういった花壇のお世話なども観光協会ががんばっているのでしょうか。

 

f:id:mainichigaharu:20191001232405j:plain▲1番線ホームにずらりと長く花壇がしつらえられています。

 

f:id:mainichigaharu:20191001232417j:plain▲今を盛りに咲き誇っているのは色鮮やかなペチュニアでしょうか。

 

f:id:mainichigaharu:20191001232422j:plain▲様々な色のものがあるし、ちょっと変わった柄のもありますね。

  

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▲こちらは今のJR西日本の標準的な駅名標

 

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▲こちらは観光列車「べるもんた」停車駅に設置された新しい駅名標

 

 それにしても、城端駅にはいろんな駅名標がありますね。JR西日本の今の標準的なものから、国鉄時代のホーローびきっぽい懐かしいのもあるし、かと思えば、五箇山の合掌造りや土蔵の「蔵回廊」が描かれた全面イラストの駅名標もあります。これは、城端線氷見線の観光列車「ベル・モンターニュ・エ・メール~べるもんた」の運行開始に合わせて、「べるもんた」の停車駅に設置された新しい駅名標だそうです。ということは、高岡、新高岡、砺波、福野、福光、城端、伏木、雨晴、氷見の各駅にあるってことね。

 

 ちなみに、城端の「蔵回廊」とは、明治の銀行家だった野村利兵衛氏(「理兵衛」とするものもあり。)が1903年明治36年)頃に自宅とともに土蔵を4棟建て、その4棟の土蔵が回廊で結ばれているというものです。野村家の二代目当主利兵衛氏は呉服商で財を成して野村家の基礎を築き、三代目当主利兵衛氏が、当時の城端に絹織物に対する荷為替の地方銀行がなかったことから、1893年明治26年)に他の出資者らと共同で「砺波銀行」を設立するとともに、1897年(明治30年)には「野村貯蓄銀行」も設立したそうな。そんな利兵衛氏が、当時県西部有数の高級建築と言われた豪壮な邸宅と土蔵を新築したんですね。邸宅の方は、1917年(大正6年)には、金沢を営戌地とする大日本帝国陸軍第九師団に対する検閲使として閑院宮戴仁親王殿下が訪れた際の宿舎となったほどであったとか。

 

 土蔵群の方は、外壁は背面を高い石垣にして、軒下二尺程まで下見板張りになっているので、一見すると木造家屋のようでもあり、全然土蔵に見えないらしいです。現在は、「城端曳山会館」の一部のようになっていて、城端の歴史や文化、先賢の功績などに関する展示が行われているそうです。 

 

f:id:mainichigaharu:20191002224849j:plain▲駅舎には「歓迎 越中の小京都 城端へようこそ」の看板も。

 

f:id:mainichigaharu:20191001232408j:plain▲行き先表示幕を「高岡」に変えて、折り返しの出発を待っています。

 

 駅舎には「歓迎 越中の小京都 城端へようこそ」の看板も、手書きマップとともに掲げられています。城端が「越中の小京都」と呼ばれているとは知らなんだ。上述した野村家の土蔵群もそうなのでしょうが、城端は、江戸時代から加賀絹の産地として加賀藩の庇護のもと絹織物で栄え、室町時代の1471年(文明3年)に創建され、1559年(永禄2年)に城ヶ鼻(現・城端)へ移り、城郭に寺域を定め、江戸時代には加賀藩の庇護のもとに越中国真宗寺院の触頭役(ふれがしらやく)として隆盛を来して今日に至っているという「城端別院善徳寺」の門前町でもあり、今でも往時の面影を残す情緒溢れる街並みが広がり、豊かな自然に恵まれ古い歴史と伝統文化が香る落ちついた佇まいが、「越中の小京都」と称されるゆえんのようです。

 

 今回は、城端線を完乗し、城端駅で折り返すだけになってしまいましたが、そのうちのんびり歩いてみたいですね、「越中の小京都」城端を。 

 

f:id:mainichigaharu:20190917224709j:plain▲構内踏切をわたって2番のりばへ。うう、暑い。