毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

終着駅・城端(Long Summer Vacation;その29)

イメージ 1▲ホームの照り返しが厳しい猛暑の城端駅に到着した9337D。

 

 2018年7月13日、築120年超。

 

 そして9337Dは、12:01に終点・城端に到着。城端線、完乗達成です。

 

 しかし暑い。あまりにも暑い。城端駅の2番のりばに到着した9337Dを降りると、コンクリート板を並べて敷いただけのホームは照り返しが強く、上からも下からも暑さが来る。砺波平野の南端部で、飛騨高地の山々が目前に迫り、東西南の三方が山に囲まれた地形なので、盆地みたいになって暑さが厳しいのかも。

 

 とにかくまずは、構内踏切をわたって駅舎の中へ退避しよう。

 

 城端駅の駅舎は、一部工事中で囲いがかかっている部分がありましたが、木造平屋建桟瓦葺で、なんと1897年(明治30年)開業当時のものがそのまま現役続行中なのだそうな!「中部の駅百選」にも「とやまの近代歴史百選」にも選ばれているんですよ! 

 

イメージ 2▲1897年の開業から変わらず活躍している木造平屋建桟瓦葺の城端駅の駅舎。

 

イメージ 3▲向かって左半分には差し掛け屋根が張り出してます。顔出しパネルは「城端むぎや祭」かな。

 

イメージ 4▲駅前ロータリー。見るからに暑そう、というかものすごく暑いです……

 

 「青春18きっぷ」を使わなくなってずいぶん経つけれど、城端駅は「青春18きっぷ」のポスターにも登場したことがあるそうです。2013年冬のポスターで、冬の早い夕暮れ時に、のっこりと雪が積もった城端駅に到着しようとする列車のヘッドライトがまぶしく、ホームにはその列車の到着を(その列車の折り返しの出発を)待つ人の姿も写り込んでいる、という図柄。キャッチコピーは「僕らが降りた終着駅は、誰かの旅の始発駅でもある」。なるほど。

 

 いつからか、「青春18きっぷ」のキャッチコピーって、くどくなりましたよね。くどくなったというか、長ったらしくなったかというか、説明的になったというか。個人の好みの問題なので良い悪いではないのだけれど、僕はやっぱり、初期の頃の、短い言葉で旅人の心をぐっとつかむことができた気がするキャッチコピーが好きですね。初期の頃も長めのキャッチコピーはあったけれど、最近のようにくどくはなかったような気がする。

 

 例えば有名なのは、2001年度冬の山陰本線鎧駅に「なんでだろう、涙がでた」。それから、2001年度春の五能線驫木駅に「タンポポみたいに旅にでた」。2000年度冬の予讃線下灘駅に「前略、僕は日本のどこかにいます」。1997年度春の三角線赤瀬駅に「もうひとつ先の駅が見たい」。比較的最近ですと、2013年度春の徳島線小島駅の桜に「「ずっと友達だよ」と言うかわりに、みんなで旅にでた」、これが「青春18きっぷ」の原点的使い方かもしれないなと思ったりして。

 

イメージ 5▲駅舎の中はきれいに改装されてます。ベンチの座布団は南砺福光高校生徒の作品らしいです。

 

 駅舎の中は改装されていて、築120年を迎えた木造駅舎とは思えないほどきれいになっています。城端観光案内所も併設されているようです。ベンチの座布団は、南砺福光高校の生徒さんたちが作ったものとのこと。

 

 駅舎内の壁には「城端駅」の駅名看板が架けてありますが、駅舎の外にはJRの文字も入った駅名看板が掲げられているので、駅舎内にあるのは以前使われていたものでしょうか。いつから使われているのか振り子時計も架かっていて、正しい時間を刻んでいます。中越鉄道の終点駅として開業してからの時間がずっと一つにつながって今も流れているような、そんな気持ちにさせてくれる古くて新しい駅舎のような気がします。

 

イメージ 6▲駅舎内の壁に掛けられているのは以前使われていた駅名看板かな?

 

イメージ 7▲こんな振り子時計も現役活躍中。正しい時間を刻んでいます。