毎日ヶ原新聞

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青井岳越え(Long Summer Vacation;その15)

イメージ 12▲一見グリーン車かと見まごうどっしりとしたシートがならぶ787系普通車の車内。

 
 2018年7月9日、鹿児島入り。
 
 特急「きりしま9号」で日豊本線を南下しています。
 
 787系で運行される「きりしま9号」は4両編成のワンマン運転。先頭車両が1号車で、最後尾車両が4号車、1号車の半室がグリーン席、半室が普通車指定席で、それ以外は普通車自由席という構成です。僕は指定券をとったので、1号車の後方に乗車します。1号車のデッキは、小さなテーブルを備えた共用スペースがあったり、客室との仕切りがガラス張りだったりで、明るく広々とした印象です。客室内も、普通席部分でも床は絨毯敷きで、シートも重厚な感じで、静かにゆったりくつろげそうです。
 
イメージ 11▲1号車のデッキにある共用スペース部分。明るくて広々としてます。
 
 南宮崎から先の日豊本線は、海の見える車窓の風景は日南線に譲り、国分、隼人に出るまで、ひたすら山の中を走る意外な山間区間になります。
 
 南宮崎の次の停車駅・清武を出たあと、田野で運転停車。6006M特急「きりしま6号」と交換します。「きりしま6号」は783系「ハイパーサルーン」車両。783系で運行される「きりしま」もあるんですね。
 
イメージ 1▲田野で特急「きりしま6号」と交換。向こうは「ハイパーサルーン」車両です。
 
 運転停車した田野を出ると、いよいよ山深い区間へと入っていきます。なにしろ田野の次の駅の青井岳まで11.3kmもあるんですよ。普通列車だと12分ほどかかる区間です。標高563.2mの青井岳の南麓を抜けていく日豊本線、青井岳駅のあたりがちょうど峠になっているようです。青井岳駅までは車窓から国道269号線が見え、キャンプ場や自然公園、「青井岳荘」という温泉・宿泊施設なども垣間見えますが、青井岳駅から先は国道も線路から離れ、心細くなってしまいそうな深い森の中を走っていくことになります。
 
イメージ 2▲田野~青井岳間の緑豊かな山間区間をゆく。
 
イメージ 3▲青井岳駅の少し手前、国道269号線が見えます。右方向には「青井岳荘」があるはず。
 
 田野~青井岳~山之口の山間区間を抜けると、列車は都城の市内へと入っていきます。山間区間から抜け出た山之口駅では、817系電車が停車中。ドア脇に「CT」ロゴが描かれていますね。これは「Commuter Train」を示すマークで、所属車両基地によって色が異なり、青色は鹿児島車両センター所属です。この列車は、川内始発の宮崎行き普通列車2433M/6930Mですね。鹿児島中央駅を跨いで鹿児島本線から日豊本線へ乗り入れる珍しい列車で、川内から宮崎までの所要時間は3時間40分です。
 
 都城には11:05に到着。5番線には九州色の気動車が停車中。4/5番線ホームは吉都線の列車が発着するので、12:27発の吉松経由隼人行き2927Dでしょうか。
 
イメージ 4▲奥山から抜け出た山之口駅では宮崎行き6930Mと交換。
 
イメージ 5▲都城に到着。吉都線の列車が休憩中。
 
 都城を発車すると、隣の西都城にも停車。都城市の中心地には西都城駅の方が近く、むしろこちらの方が「都城駅」を名乗るにふさわしいような気もしますが、歴史をたぐれば、都城駅から西、西都城、財部、鹿児島方面はあとからできた鉄道線で、先に開通したのは吉松から宮崎方面へ向かう国有鉄道宮崎線で、宮崎線の駅として1913年(大正2年)に都城駅ができたのが先。1923年(大正12年)には、小倉から都城経由吉松までが日豊本線とされました。都城から西都城を経て鹿児島へ至る日豊本線が開通するのは1932年(昭和7年)になってからのことです(都城~西都城~財部が開通するのは1929年(昭和4年)。)。
 
 さて、西都城の次の駅は五十市(いそいち)。都城市の西郊にあり、五十市を通過して少し行くと県境を越えて鹿児島県に入ります。鹿児島県に入って最初の駅が財部。「たからべ」と読むそうなので、難読駅と言えましょう。その次の北俣あたりから、また山へと分け入っていく感じになり、大隅大川原、北永野田と通過して、11:36に霧島神宮に停車です。そこから次の国分までが山の中を走る区間で長く、駅間距離は12.7km、12分かかります。国分まで出れば海はだいぶ近くなり、霧島神宮から国分、隼人、加治木と4駅連続で停車します。
 
イメージ 6▲日豊本線では宮崎県最後の駅となる五十市を通過。このあと県境を跨ぎます。
 
イメージ 7▲霧島神宮駅に停車。霧島神宮までは約7kmあるので駅から歩いて行けるわけではない。
 
イメージ 8▲肥薩線との分岐駅・隼人に到着。海は近い(はず)。
 
 隼人を出発して最初に通過するのは加治木。のりばはもともと2面3線あったようですが、2番線に当たる線路は撤去されて草生し、ホームには柵が設けられてしまっています。その柵に「志學館大学」の広告が見えます。鹿児島市内にある私立大学ですが、なぜに加治木駅に?と思ったら、志學館大学の前身である鹿児島女子大学が最初に設立されたのが姶良郡隼人町(現・霧島市)だったそうだから納得。加治木駅がキャンパスの最寄り駅だったのかもね。
 
 列車は、加治木から錦江、帖佐、姶良、重富と、姶良市内を東から西へと抜けていきます。姶良市の西端駅・重富も、加治木駅同様、もともと2面3線だったのが2番線が撤去されて柵が設置されています。3番線には6010M特急「きりしま10号」が交換待ちで停まっているようです。
 
イメージ 9▲閉鎖された2番線の柵に「志學館大学」の広告が見える加治木駅。
 
イメージ 10▲姶良市西端駅の重富駅。3番線で特急「きりしま10号」が交換待ち。